2000年私が24歳になる年のことです。
翌朝、起きてみるとまだ熱は下がり切っていなくて、37.5℃あった。
次の次の町のダラムサラまで辿り着けば、3カ月前に南のハンピで仲良くなったアキラさんとドラが待ってる。
一人で心細いより、無理してでもダラムサラまで行ってしまおう!!
熱の割には体はさほどしんどくない。
これなら行けそうだ。
お世話になったマネージャーにお礼を言い、7:00頃出発した。
またデラドゥンまで戻り、シムラー行きのバスに乗り換えようとしたら、
バスは2時間後までないと言われ、仕方なくバス停に座って待っていた。
そこへ日本人の男の子が通り掛かった。
日本人に会ったのは10日振りくらいだったから、嬉しくって声を掛けた。
名前はSくん、同い歳だった。
私はシムラーからダラムサラへ、Sくんはシムラーからマナリへ行く予定だと言う。
よかった、シムラーまでの旅の道連れが
出来た。
こんな体調の悪い時には日本人が側に居ると言うだけでホッとする。
バスを待つこと2時間、やって来たシムラー行きのローカルバスに乗り込むと、
日本の通勤ラッシュに負けない程の混雑で座ることは出来なかった。
そこから一時間、ギューギューの中立ちっぱなしで、しんどくて、つらくて、
泣き出しそうになりながらも何とかグッと堪えて踏ん張った。
「大丈夫〜?」と時折声を掛けてくれる
Sくんが居たことがほんっとに支えになった。
数人が降りてやっと少しスペースが出来、床に座ることが出来た。
この際汚いとか言ってられない。そのままバスに揺られること更に二時間。
その後やっと席が空いてSくんと一緒に
座ることが出来た。
ホーーーーーーーーーッ。
途中何度も何度もバスは停車してなかなか進まない上に、シムラーの10キロほど手前の所まで来たと思ったら、
パンクでまた停車してしまった。
タイヤ交換で30分待たされることになった。
その頃、また熱が上がり始めていて、生理二日目でもあった私は体調が最悪な
状態だった。
何でこんなタイミングで出て来てしまったんだろう。
やっぱり無理にムスーリーを出て来るべきじゃなかったと思ってももう遅い。
シムラーに到着して向かったのはYMCA。シムラーも避暑地で宿が高かった。
お互い宿代を節約するために、今日はSくんとダブルルーム330RS(825円)をシェアすることになった。
異性と部屋をシェアするなんて非常識と思うかも
しれないけど、バックパッカー同士だと結構ある
こと。少なくとも私は(笑)
YMCAは高めなだけあって、ホットシャワーがジャージャー出た!!
インドに来てホットシャワーが出るなんて初めてだ。
部屋には赤い絨毯なんて敷いてあるしきれいだし、快適な部屋だった。
シャワー後熱を測ると、また38.5℃
まで上がってて、Sくんがめちゃくちゃ効くと言う解熱剤をくれた。
ご飯を食べて横になると、Sくんはカバンから何やら取り出し、紙で巻き始めた。
ガンジャだった。
おーい!病人の横で吸うか~!!
病人には特にガンジャの匂いはキツイ
でも、こんな心細い時に彼が隣に居てくれるだけで本当に有難いのだから、と我慢した。
彼はモクモクと煙を上げながらガンジャを吸い、どんどん楽しそうな様子になって行った。
私は今日の移動でヘットへトだったけど、Sくんはどんどん饒舌になって行って、
楽しかったしいい子だったから、気が付くと0時過ぎまで色んなことを喋っていた。
そろそろ寝なきゃね。
明日はどうか熱が出ませんように!
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