再投稿です。読んだことある人はごめんなさいお願いあせる

 

 

2011年6月~の話です。

 

 

暖かくなってくると、外のテントでの調理

は暑くてたまらなかったし、ハエが大発生

してめちゃくちゃ困ったあせる

写真はハエ取り紙をつり下げてハエを取っ

てるところ。

 

食料用テントに貯蔵していた野菜なども傷

みやすくなって来て、食品の管理は大変だった。

 

 

6月26日。石巻の渡波地区で元気祭りが

開催された。

 

瓦礫を集めて作った瓦礫神輿で街を練り歩

き、最後は渡波小学校へ。

神輿は災いや穢れを取り除いて浄化する

意味があるんだって。

 

せっかくのお祭りだったのに、

この日に大変なことが起こってしまった。

 


この日のボランティアの昼食用に用意した

おにぎりで食中毒を出してしまったネガティブ



夜中に握った大量のおにぎりを、発泡スチ

ロール容器の中で翌日まで保管したのが

いけなかった。



今ならぬるい温度で長時間保温するのが

どれだけ危険かわかるけど、当時は生活班

の中でそれに気が付いた人は誰も居なかった。



大変なことをしてしまった。

今まで頑張って来たのに、これで生活班の

活動が停止になってしまうかもしれない。



と思っていたら、

 

 

歩さんが保健所の人と話をしてくれて、

揉み消してくれて、そのまま活動できる

ことになった。

 

 

夜の全体ミーティングで生活班のメンバー

が前に並んで、食中毒を出してしまった

ことをみんなに謝罪した。

 

 

最初はしーーんと静まり返っていた。

 

 

怒ってるのかな・・・

当たり前だよね、信頼して任せてくれて

たのに・・・・・とうなだれていると、

 

 

勇気ある男の子が沈黙を破って

「いつも美味しいご飯ありがとう!!」

って声を掛けてくれて、

 

 

それに続いてみんなが「ありがとう!」

「ありがとう!」って言ってくれて

生活班のみんなは涙腺崩壊だった笑い泣き

 

 

その日からはそれまで以上に気を付けて

食事を作った。

 

 

そして私の35歳の誕生日を迎えた。

 

 

私はやっぱり生活班以外もやりたくて、

週に一度は現場に出させてもらっていた。

 

 

その日は側溝の掃除に出ていた。

ヘドロが貯まったままだと、雨が降る度に

水が溢れ、悪臭がするそう。

 

ヘドロをひたすら掻き出しては、土嚢袋に

入れて行く作業。

大変な作業だったけど、側溝がきれいに

なるととても気持ちが良かった。

 

 

その日はめーちゃくちゃ暑くて、体中に

水道の水を掛けながら作業したくらい。


さぁやっとお昼休み。
あっつ~~~と、

腰かけて汗をぬぐっていると・・・


音譜ハッピーバースデートゥーユー音譜

の歌と共にかき氷が出て来た爆  笑

写真勝手に使っちゃったけど大丈夫かな?



プラスチックスプーンに
HAPPY BIRTHDAY SONOCHAN

の文字を書いて立ててくれて。

 


最高!!!かき氷、まさに食べたかっ

たものだった!!

 

 

長期メンバーの誕生日にはいつも生活班が

ケーキを作ってみんなでお祝いしていたんだけど、

 

 

夜には私の為にもこんなに豪華で素敵な

ケーキを用意してくれた!!大感激キラキラ

 

生活班のみんなとラブラブラブラブラブラブ

またまた写真勝手に使っちゃったけど大丈夫かな?

 

そこへ高橋歩さんが通り掛かって、

私の誕生日だと知ると、もう寝るところ

だったのにわざわざ隣に座ってくれた。

 


彼のNPOに参加してるくせに、アンチ

高橋歩だった私。(ただ本が嫌いだった

だけだよ。)



二ヶ月半活動してたのに、ほとんど話した

ことはなかった。


その夜、初めてほとんど二人でじっくりと

話をした。歩さんは私の恋愛相談&

人生相談をじーっくりと聞いてくれた。


いい人だった。

 

 

ライターにサインしてくれたけど、

私は特にファンじゃないから、

「え~~歩さんのサインいいなぁ~!!」

って言ってた生活班の友達にあげちゃった!
 

 

こうしてON THE ROADの第一期の活動

が終了して、私は東京に戻った。

 

 

車でたったの6~7時間の距離なのに、

景色がガラリと変わって戸惑った。


被災地に居たことが一瞬で夢だったように

思えた。
東京に戻ると、あの70日間があまりにも

非日常的に思える。


でも、被災地の人にとってはあれが日常。
瓦礫に囲まれて、悪臭の中で暮らすのが

日常。


賑やかな東京に戻ると、人々が震災のこと

をまるで忘れ去ってしまったように見えて


本当は忘れてないのかもしれないけど、
なんとなくそう見えて、急にもどかしく

なってすぐに宮城に戻りたい気持ちになった。

 

 

今度こそインドとミャンマーに行こうと

思っていたけど・・・・

 

 

人生のうちのそのもう2か月をON THE 

ROADに費やしてもいいんじゃない?

 

 

って気になって、二期も参加することに

決めた。

 

 

母には、

 

「えっ?また東北に行くの?どうするの

!?仕事は?結婚は!!??

 

って反対されたけど、

 

 

「東北に行かなかったからと言って

結婚できる訳じゃないし!!!」

 

って反論した。

 

 

父はいつでも私の味方で、

 

「今の時代結婚だけが人生じゃないから。

やりたい事やりな。」

 

って言ってくれてた。

 

 

35歳だったけど、それまでにも何度か

仕事を辞めて長旅に出ていた私。

 

 

貯金は既に乏しくなって来ていたけど、

もうしばらく無職で居ることに何の不安

もなかったし、保育士の資格がある限り

またすぐ仕事は見つかると思っていた。

 

 

仕事よりも、今しか出来ない貴重な経験を

したかった。

 

 

少し短期バイトをして、

8月にまた宮城に戻ることにした。

 

 

 続く指差し

 

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