注意再投稿です。

 


2009年の話。

 

世界一周から帰国して2ヶ月後。

倉庫バイトにも慣れてきたある日のこと。

 

 

「そのちゃん!!!来て!!!!」


その日はバイトが休みでまだ寝ていた私は

母のただならぬ声で飛び起きた。



すぐに心臓に持病のある父に何かあったと

直感し飛んでいくと、母が受話器を持って



「救急車呼んで!!お父さんが大変!

心臓止まってる!」

 


すぐに119番。


「救急車お願いします!」

 

 

震える声で父の状態と住所を伝えた後、

 

 

「到着までどうしたらいいですか??」
 

 

と聞くと、


「心肺蘇生出来ますか?」

 

 

「以前講習を受けたことはあります。

でも、回数を忘れてしまったので教えてください!」

 


「人工呼吸を2回、心臓マッサージを

15回を繰り返してください。」

 


と言われて、

電話を切って父のところへ行った。

(後で調べたら15回は昔のやり方で、

正しくは心臓マッサージは30回らしい。)


母は1か月前に腕を骨折していて、
片腕だけで必死にうつぶせの父親の体を 

起こそうとしていた。



口から血を流していた父の口にタオルを

突っ込んで血を拭き取った。

(吐血ではなくて舌を噛んだことによる

出血だったと後でわかった。)



父の顔を見たとき、あぁ、もうダメだ、

と思った。
顔も体もパンパンに浮腫んで、

すっかり人相が変わってしまっていた。


「お母さん、2回人工呼吸して!!」


「わかった。フーーーーーッ。

あ、鼻つままないと!フーーーーーッ。」


「お腹が膨らんでる!肺に入ってないかも。

あ!気道確保だ!顎を持ち上げて!!」


「こう?こうでいいの?フーーーッ!!」


「1、2、3、4・・・・・・15!!

はい息入れて!!」


救急隊員が到着するまで、母と二人で必死

に心肺蘇生法を繰り返した。


私の頭の中は


「まだ親孝行何もしてない。孫の顔も見せ

てない。」

と、抜け殻のようになってしまっている

父を見ながら後悔の念でいっぱいだった。



救急隊員の到着は本当に早かった。


すぐに落ち着いた対応でAEDで処置を

してくれると、心臓が再び動き始めた!!


その後マンションの9階からエレベーター

に担架を乗せ、救急車に乗り込んだ。


救急車の中で父は意識を取り戻した。


「〇〇〇〇さ~ん、大丈夫ですか?」

の声かけにも
「〇〇〇です。」としっかり訂正するくら

いで、本当にほっとした。


病院に着いて緊急処置を受けてICUに

入ると、父はさっき死にかけてたことが

信じられないくらい回復していた。



朝の父の顔を思い出すと助かったのが

本当に信じられない。奇跡だと思った。



救急隊員の方が、


「到着までに心肺蘇生をしてくれていた

のがよかったんです。」
 

と言って下さった。


後から思うとちょっと押していた場所も

ずれていたような気がするし、

実際あれが効果があったのかどうかは

わからないけど、何年も前に職場で受けた

講習が本当に役に立った。


普段忘れていた知識なのに、
気が動転して居るはずのあんな時でも

手順を思い出すことができた。



ただ、父は体は回復したものの、
記憶障害が起きてしまっていて、


昨日までの記憶ははっきりとしていて


「マンションのゴミの係を交代してもらわないと。」


「12月2日に○○会の印刷をしないと

いけないから、○○さんに電話してくれる?」

 

「あぁ今日は△△さんのコーラスを見に

行く予定だったのに悪いことしたなぁ。」


とかそいうことはしっかり、はっきりと

覚えているのに、ついさっきのことが

思い出せなくなっていて、



「今日は何日だっけ?今何時?」

を何度も聞いたり、
 

 

病院で昼食を食べたのに

「食べてない。」と言ったり、


午後に行くと、午前中に私と母が来た

ことも覚えていなかった。


父が何度も同じ話をする度に
母と私は顔を見合わせて困惑してしまう。


でも、母と

 

「少しくらいボケたって、

生きていてくれてるだけでいいよね。」

 

と話した。



当たり前だけど、本当に、生きているのと

死んでいるのって大違い。


うちはすごく仲がいい家族だし、
私は父も母も大好きだけど、


日頃は二人が生きてて当たり前みたい

に思ってた。


当たり前じゃないんだよね。


父は何度も大きな病気をしていて、
何度も入院をしたりしているけど、


今回みたいな突然の危機はなかったから、
本当に本当に焦った。


なんでもっと優しくしておかなかったん

だろう、
なんで昨日寝る前にもっと会話しておか

なかったんだろう、って。


これからはもっと優しくしよう。

 

 

母は骨折していて一人では心肺蘇生は

出来なかっただろうし、

私が長旅から帰って来た後だったこと、

その日たまたまバイトが休みだったことが、
本当にラッキーだった。

 

 

母が一人で寝るのが怖いと言うから、
その日は母の隣に布団を敷いて、手をつないで寝た。



母も私も疲れているはずなのに、緊張と

不安であまり眠ることが出来なかった。

 

 

翌日ICUに会いに行くと、ちゃんと昨日

私たちが行ったことも覚えていたし、


お昼御飯に何を食べたかも覚えていたし、


昨日みたいに何度も同じことを言ったり

聞いたりしなかった。



どうやら記憶障害は一過性のものだった

みたいで、完全に元に戻っていて、
本人も私も母も心からホッとした。



お医者さんに、

 

「今のところ何も後遺症が見られないのは

やはり救急隊の到着前に心肺蘇生法をして

いたからだと思いますよ。」


と褒めてもらった。


父はもちろんその時のことは覚えてない

から、
私と母が詳しくその時の状況を話すと、


涙をこぼしながら

「有難うねぇ。心配掛けてごめんね。」

と言っていた。


生きててくれて本当によかったと、
久しぶりに父をぎゅ~っとハグした。

 

 

その後父はペースメーカーを入れ、

76歳になった10年後の今も、

73歳の母と一緒に週3回は元気に

テニスをしている。

(コロナ流行ってるから休んでって言っても

野外だから、と聞いてくれないえーん老人たちで

群れて欲しくないアセアセ

 

 

今も両親が元気で居てくれることに感謝!

 

 

救急救命の講習を受けて、心肺蘇生法や

AEDの使い方を習っておくことや、

近所のどこにAEDが置いてあるか日頃から

知っておくことは大事だと思う!

 

 

こう言うマップがあるみたい。

 

私は保育士と言う職業柄、その後も3回

講習を受けに行ってるけど、実際の

保育現場で役立ったこともあって、

受けておいてよかったなって思った。

 

 

身近な人や大切な家族を守れるかもしれ

ないから、是非おススメしたいニコニコ

 

猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま

 

【2022年追記】

 

今年79になる父は相変わらず週三以上

テニスしてるし、めっちゃ元気!

 

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