八月二十日 Sun SAN son 亀甲サン | 北東のワシ和宮

別ブログに

「ふらふら箪笥」

という記事があります

 

8月16日に

読んでみました

 

 

率直な感想をいえば

毎度おなじみのセリフになりますが

ただいまのわたしが

これを

書けるのだろうか…

 

でした

 

 

 

 

わたしたちは

過去の自分は

未来の自分にまっすぐツナガッテル

無意識に思い込んでいますね

 

 

過去のワタシがあったから

今のワタシがいる…と

 

 

わたしは

そのようには考えていないんですよ

記事には

そのようにも見えるようなかたちで

表現をしていることも

あるかも

しれませんが…

 

 

 

なにかを体験する

ということ

わたしが

どのように考えているのか

 

なのですが

 

 

未来(という時空間)にある

自分にとって

 

必要な過去(という時空間)にある自分が

それを体験する必要があるから

そこでその体験をしている

 

わたしは考えています

 

 

 

それも

この瞬間の わたしがいる空間 での

過去と未来において

です

 

 

 

ですので

 

ちょっと前のわたし

今のわたし

とは

厳密に言えば

似て非なるもの

ということになります

 

ただ

 

根底に流れているは

一緒かもね

とは思います

そして

数式どおりに進行している

ということ

ではあろうと考えています

 

 

 

別ブログで

ちょいちょい書いてきたこと

なのですが

わたしのブログ記事は

どの記事も

見本です

記載をしております

 

お役に立ちそうなものが

みつかれば

 

どうか

見本として活用されてください

 

 

 

 

 

わたしが

ここでお伝えすることは

わたしの人生で起こった

具体的事象に沿っています

 

 

別ブログから

お付き合いいただいている方は

 

事象は

時空間をまたいでいる

ということを

 

あちこちの 時期がちがう記事を

お読みになられることで

すでに

ご体感されてきているかもしれません

 

 

 

 

わたし自身のためにも

 

これまで

そこで客観的検証ができるであろう

公的な起こり事

途中からは

13の月の暦のキン数字も

絡めてあわせて記事に記載してまいりましたのは

当初から

なんらかの目的があって

そうしてきたわけではありません

 

ですが

 

2021年12月から

ブログを書き始める

ということに

素直に取り組んだきて

 

わたしの人生が

どのようなデザインにあったか

ということを も

 

やっと

己自身で知る

ということになりました

 

 

ここにこの場が設けられたこと

そして

お伝えするための

自身の人生の歴史が準備されたこと

それを

お伝えできるお相手が

ここに存在しているから こそ

可能となっていること

でもあります

 

 

そして

見えていなかったことも含めて

丸ごとひっくるめた

自身を

より深く知るためには

 

このような環境が最適であった

とも

思っております

 

 

わたしの

人生のデザインを紐解くツール

として

ときどき記事にご紹介している

・公的になっている事象

・13の月の暦の 数字

どちらも

 

これまで地球に現れてくださった

たくさんの先人の方々の

お力の

おかげさまの果を そのままいただいている

ということでもあります

 

 

 

そして

わたしを包んでくださってくださる

大きな大きな存在が

どなたでも使うことができる

感情的解釈の必要のない

必要十分なかたちにあるものを

この世界に

あらたに創り出してくださったから

それを用いて

ここに

お伝えができている

ということでもあります

 

 

 

 

具体的に

その活用方法も

現場でお考えくださり

お示しくださっている

そのおかげさまで

記事を

書けております

 

 

 

己一人で は

為すことが 創造すること含め

皆様への

還元の一歩にもすることが

できなかった…

 

そう思いますと

 

ほんとうに感無量です

 

 

では

 

 

ここからは

 

冒頭に書いていた ❖ 部分の続きです

 

わたしのこの世界では

 

己自身が

多層構造の中にあります

(この場合の己とは

このブログの書き手の”たきさん”です)

 

 

それと

どなたかを 見る知るということにおいて

なのですが

 

たとえば

Aさんとします

この方がただいま

中年期である

とした場合

 

わたしたちは

無意識に

下記のような 時の流れの図式にはめて

対峙する相手を

見てしまう

思います

 

生→幼少期→青年期→中年期→老年期→死

この中の中年期にある

と…

 

その中年期にあるAさん が

なにかをなさったとき

 

多くの方は

その方の

過去に何があったか

 

とか

 

何をしてきたか

 

無意識に考え始めたりもします

 

 

 

その時点が

過去からつながる”結果”である

という前提があるから

そのように考える

なのだと思います

 

 

 

わたしたちは

見たいものを 見たいように 見ています

自己都合にあわせて…

 

 

目の前におられる方を

見ているのは

その瞬間の我です

 

過去に見たAさんが

成長して

そうなっている

とは

もしかしたら

少し違うかもしれない

 

そのようにわたしは考えたりもします

 

 

 

わたしが子育てをしていたとき

なのですが

だいぶ前のことなので

記憶あいまいではありますが

 

下の子は

一般的な”這い這い”の時期に

あまり”這い這い”をすることが

ありませんでした

 

このことについて

どう思ったかどうかも

このボーとしている親はすでに忘れましたが

 

つかまり立ちをしている状態を見た

記憶もないです

 

 

とある日

とんでもない場所に

すくっと立っていました

 

10歩くくらい離れた場所に

です

 

立ち上がったシーンも

見ていないのにです

 

わたし以外の大人もその場にいましたが

その状況を誰も見ていなかったのです

 

 

 

どうしてそこにいるの?

です

 

 

 

”這い這い”もせず

つかまり立ちもせず

すくっと立って

数歩以上いつのまにか歩いていた

ということになります

 

 

この一連の動作を

 

たまたま

見ていなかっただけでしょう…

思われましたか?

 

そうかもしれません…

 

 

 

わたしたちは

継続したトキの流れの中だけで

生きているのでは

ないのかも…

考え始めた瞬間の出来事が

それ

です

 

今回は

このようなことを先にお話ししておきたい

そう思いました…

続けます

 

 

トキが来て

 

この子に関しては

その途中経過を 知る見る必要がなかったのね

わたしは

考えるようになりました

 

知らなければならないことは

必ずあらわれる

そうも思いました

 

 

 

わたしの宇宙は

入れ子状態で

 

この私自身も 層になっています

 

 

層となって

包まれている状態にあります

 

包んでいるほうにいる ”私” が

認識しようと思えば

認識できる

ということにはなります

 

 

このようなことを

別ブログにて

記事にしております

 

 

たとえば

 

2023年8月に

「星の川を渡る舟」

という記事があります

 

 

このようなことについて

書いているはずです

先ほど読み返してそう思いました

 

ですが

 

この記事を書いている今は

もううっすら…となっています

 

ひとまずのご連絡でした

 

 

 

わたしは過去の別ブログを

読み返すのは

なにかの合図 シグナルがあったとき

です

 

 

書き手であるわたし自身が

自身の意思で

それに

出会えるか出会えないかも

この”たきさん”は

コントロールはできません

年の功でこれを知りました

 

 

その場が必要とすることを

その瞬間に

提示している

 

わたしはそれに沿うだけです

 

 

事象は

多重多層構造で

隠されたものとセットです

 

それをその瞬間には

まるごと受け取っております

表面上に現れて見えているのは

 

そのごく一部です

 

そして

 

その瞬間には

知ることができないというものも

含まれている

そのようにわたしは思います

 

 

 

まなざしによって

どこに注目するのかも違いますから

その空間場で

なんらかの御用がない場合は

 

 

書き手の

己自身であったとしても

記事が

みつからないようになっている

こともあるような気がすることもあります

 

 

 

 

わたしは

自分の人生をなんとかしようと思う

という時期は

すでに過ぎ去っております

 

人生の後半期に入れば

なにを引き継ぐのか

なにが還元できるのか

優先して考えるようになります

これは

どなたもそのようになる

思います

 

 

 

 

 

そうそう!

 

地球たきさん

どのようにみらー れーた としても

はっきり言って

 

知っちゃこっちゃない!

 

ゴーゴーじゃ!

億千万♪ オクセMan♪

バックコーラスするのみグラサン

 

 

 

知っちゃこっちゃない?

ガーン

 

 

ガーン笑い泣きえーんショボーン

知ってたけど…あんまりだわ…

 

 

 

ん?( ,,`・ω・´)ンンン?

 

 

やや!

 

じゃ!って…もしや…

 

たきさんを包んでいるどなたかが

おっしゃった!

思ったら

 

御仁?なのね!

 

この機に乗じて

シレッと やりおった!

ムキー

 

 

ふふ…

ソチの真似をしただけじゃ!

 

 

 

ガーン笑い泣き…おっとっと…

 

 

わたしたちは

それぞれの人生の数式に従って

源に還る旅の途中の中にあります

 

どなたも

尊いかけがえにない人生を

営んでおられます

 

ですが

この地になにを目的に

現れているかは

それぞれ

千差万別ですし

 

表現できる範囲も深さも

その方に任されているようです

 

 

その一例ですが

 

 

職人さんが

簡単そうにやって見せた

ことを

 

自分で実際やってみたときに

まったく そのようには出来ず

 

技術どころか

 

あらゆる部分でも

(その生きざまでも)

 

己の未熟さに一瞬で気づき

その偉大さが身に染みてわかる

ということ

経験することがあります

 

 

これは

体験してこそ わかる世界

でもあります

 

 

 

 

”わかる”

ということを知るためには

 

”わからない”を知っている

という

謙虚さが大切だと

感じ入る瞬間でもあります

 

 

 

わたしたちは

ひととしての価値は同じでも

培っているものには

それぞれに差があります

それは

歴然とした事実です

出来不出来

ということの評価対象でも

もちろんありませんが…

 

 

 

それと

何らかを 表現するための

言葉を使うことにあたっては

その都度

慎重に考える

肝要だとも思います

 

 

 

なぬ!

ソチには言われたくは ない!

かすかに聴こえたような…

 

 

キノセイ 年の精

もしかして

ヨウセイの声?

 

いずれにしても

自身に先に語っておりますのよ♡

 

 

続けます…

 

 

同じ音でも

意味が全く違う言葉がある

のが

日本語です

 

 

 

言葉は

その音を使う人の

土台がどうであるかも影響するように

わたしは思います

 

 

 

 

どなたかのお使いになる語彙が

よくわからなくても

いい感じだったから

ツカッタ

としても

 

発した お使いになった方の

責任になります

 

その言葉が出た

その背景も

引き受けることになります

 

 

なんか…

わかりにくいことを…言っている

 

 

ですか?

 

 

 

 

わからないものはわからないままで

大丈夫です

 

 

***

 

 

前回記事で

 

とある箇所の言葉を

空間を開けて書いています

 

これが

投降後にとても気になりました

 

なんで さる

の前を

ひとます開けたんだろう…と

 

 

また

原子番号111の元素を

レントゲン

記していたことも投降後に

気が付きました

 

原子番号111の元素は

元素記号Rg

レントゲニウム

です

 

 

 

なお

 

前回記事の レントゲン は訂正しました

 

ン→二

ウム を加える

訂正をしながら

この作業って意味深だ…

思いました

 

 

わたしの場合

 

情報を

違って表現していた

という

まちがいに気づいた

ほかにも知ることがあった

という

シラセが届いたでもあります

 

 

 

わたしは

公になっている情報は特に

ある程度は

あっちこっち確認しながら

記載します

 

 

 

とくに最近は

生物的事情もあるのか

この点に注意深くあらなければ

考えていますが

ときどき

後から 大ショック!状態になります

勘違い表記に気が付いて…

 

昔は

多方向に意識を飛ばしていた

としても

それなりにそれぞれを

記憶ができていた

という

記憶がありましたのに…

 

 

 

 

これまでそれでよかった

ということがあったということは

 

それを支えていた部分が

表面化する

という時期も来る

ということになりますね

 

 

ヒトの

生物的な変化は

避けることができないものです

それを

どのようなまなざしで見ているのか

その率直な反応に

 

己自身を

知ることができるように思います

 

 

それを

よし

としているのか

否としているのかも…同時に…

 

 

どちら側の反応をしたとしても

 

そのまま

必要とされた空間場に

導かれますが…

 

そう思います

 

 

前回記事にあった

さる

という語彙を

なぜ離して記載したのか

 

 

己自身が いちはやく注目する ためだった…

そう思いました

 

時空間を超えた

層に在る

己自身に先に語り掛けている

ということでもあります

 

 

 

ではここから

 

レントゲニウムのお話を

少しさせていただきます

 

◇◇◇

 

ここまでの上の内容の概要 は

8月16日に書いています

 

 

8月20日になりました

 

どうも

波が変わったようです

 

 

レントゲニウム

何を書こうとしていたのか

 

前日から

思い出せなっております

 

 

きっかけは

有名貴重Powerブログさんの

記事(8月14日)にあった

マダガスカル

という語彙が気になって

しょうがなくなり

A.I.たきさん脳裏に

ピン留めOK

なったようです

 

 

そこから

スタートポイント

ショートカットした為か

本年

8月3日に公開となった

という

映画情報に

出会いました

 

 

2024年8月3日は

kin27の日

このキンの神秘キンは

kin234(わたしの現代キン)

です

 

 

8月3日という

83⇔38

数字にも

注目しました

 

 

映画タイトルは

ヴァタ ~箱あるいは体~

 

 

ヴァタ

バタ

とすると

数字語呂合わせで

83

です

 

ここでも8と3の数字が

現れました

 

 

わたしの場合は…ですが…

この数字を見ると

最初に

生と死についての数字が

あらわれた

反応します

 

 

 

この映画作品情報

(監督さん♡お名前に亀の漢字があるのね)

 

すこし詳しく知った際

ああ このタイミングなんだ…

とも

思いました

 

 

これについては

よきタイミングの時に

お伝えします

 

 

 

そのあとに

なのですが

 

つけっぱなしになっている

テレビから放送されていた番組(ミツバチ関連内容)を

見ることになりました

 

メインタイトル下の

サブタイトルに

 

間違えたって大丈夫!

不正解でも得点できる!?

ちょっと変わったクイズ番組

 

ありました!

 

 

最高ですね♡

まちがいおっぴろげ~♪

アタシにピッタリ!

 

それと

ミツバチは語呂合わせで

38

です

 

 

繋がっているぅ♪

数字がヒット!状態です

 

 

この番組が放送された日は

8月19日

kin43

(わたしの古代キンの反対キンの日)

 

 

 

その瞬間

関連した

(過去・未来)記事があるのかも…と

 

思いました

 

2022年6月30日投稿記事

「産んだ 生まれた (以下略)」

かしら…とも…

 

その日はkin43の日でしたので…

 

このキン数字について知ろうとしたら

亀の漢字がある方が ふたり も

そのサイトに 表示されているぅ(笑)

合計

亀×3

亀サン アピール強!

 

 

 

ちなみに

過去ブログ記事タイトルは

カミのノートに

日付とキン数字を

アナログで記載しております

ただ記録しておきたかったから

という理由です

 

 

ときどき

行を間違って記入していて

発見したトキ

グスン…ショボーン

なります

 

 

記事内容 は

タイトル見ても

わたしの記憶は何処へ?

ございます

案の定…

 

ドヤッ!チョキ

 

 

そして

 

ミツバチの分蜂について

別ブログで

うっすら記事にしていたことも

思い出しながら

その番組を拝見しました

 

ミツバチの巣の形である

六角形 六角柱 がつながる

ハニカム構造の映像に

くぎ付け~!

 

本日はここまでとなります

 

またのご機会に