10月2日(水)の皇大神宮・内宮に続いて10月5日(土)豊受大神宮・外宮
で遷御の儀が斎行された。
北斗星は勤務先が催事の準備で帰りも遅いので豊受大神宮・外宮遷御
の儀を報道しそうなテレビ番組を留守録画をした。
職場から帰ってチェックしたら遅い時間のニュースで僅か1分程度の報
道しか無く、残念な気分になった。

一般に外宮と呼ばれる豊受大神宮は神宮(伊勢)を構成する2つ正宮の
一つである。
止由気宮儀式帳(804年)雄略天皇2年、天皇の夢に天照大御神が現れ、
「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(と
ようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託した。
同年7月7日、内宮に近い山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったとされ
る。
昭和62年外宮 
昭和62(1987)年2月、豊受大神宮(外宮) 写っているのは当時の愚妻 !
この頃は現在のパワースポットブーム等無く見ての通り年配 ! 年配の
人ばかり…農協絡み等の団体さんが多かったようで個人の参拝は少
なく非常に地味でした。
このご正宮は第60回式年遷宮のもの…既に第61回式年遷宮の準備が
されていたと当時の北斗星は知る由も無かった。


平成7年外宮 

平成7年4月12日豊受大神宮(外宮)で撮影。写っているのは愚妻 !
第61回式年遷宮は平成5年10月に斎行された。
 

 
平成18(2006)年11月1日撮影   豊受大神宮(外宮) この時は神宮(伊勢)
から大阪、奈良飛鳥の法隆寺、奈良国立博物館で開催された正倉院展
を見に行った。




撮影平成21年11月8日 豊受大神宮(外宮) 
 掛替られた内宮の宇治橋 完成に合わせて愚妻と共に参宮に訪れた
 
撮影 平成24年8月23日 豊受大神宮 外宮 
外宮は内宮と違い静かな佇まいが好きである。

豊受大神宮(外宮)遷御と関係無い写真ばりで申しわけない。

外宮の遷御は内宮の遷御とほぼ同じである。ご正宮の造りは土地の構
造がい内宮は山を造成した様な構造で階段を上がり南板垣御門に到達
する。御門無いから中重(なかのえ)を見てもも勾配があるのが分かる。
ところが外宮は平地なので隣接の新宮の遷御は並行移動となる。

私達が神宮(伊勢)に参宮する場合は外宮が先で内宮が後に参拝になる。
こり理由は神託により神宮では、古くから重儀である三節祭(六・十二月の
月次祭(つきなみさい)、神嘗祭(かんなめさい)は先ず外宮でお祭りした後、
内宮でお祭りするという、外宮先祭(げぐうせんさい)により祭祀が行われ
る事になっています。
ところが遷宮だけは内宮先祭となる。理由は北斗星の勉強不足であるが…
徳川時代、禁裏側からパトロンの徳川家康にどちらから斎行するか伺い決
められたとの事、以後この式年遷宮は内宮先祭となった。

昨日(平成25年10月5日)の豊受大神宮の遷御は…

瑞垣御門下の宮掌が…

カケロ- !  
                      カケロ- !
                                         カケロ- ! 
(鶏鳴も内宮と異なる…)

天皇陛下の差遣される勅使手塚英臣掌典長が「新宮に遷幸願い奉る」
と神儀奉遷の祭文を奏上して、出御(しゅつぎょ)、出御、出御と三唱、唱
える。遷御は内宮と同様に前陣、後陣の真ん中に行障(絹の前幌)絹垣
(きんかい)の中に勅使、神宮臨時祭主、大少宮司、禰宜がを御神体を
奉栽する。

神宮臨時祭主 黒田清子さん(今上陛下第一皇女)大宮司鷹司 尚武氏
以下神職、供奉、雑掌等百数十名の布陣は変わらないが安倍内閣総
理大臣は来られず代理の方が派遣された様だ。

御装束御神宝も内宮と内容も異る。

あいにくの小雨模様の中4000名の特別奉拝者に見守られてご神体は西
の新宮に移られた。
新聞記事によると天皇陛下は外宮の「遷御の儀」と同時刻、皇居・神嘉殿
の庭で、伊勢神宮に向かって拝礼する「遙拝の儀」に臨まれたとのこと。

これで8年余もかけた神宮(伊勢)の式年遷宮は別宮、摂社末社の遷宮を
残すのみとなり、これらの遷御は平成27年までに斎行される。