神宮(伊勢)はあと数日で式年遷宮を迎える。
一般に式年遷宮は『神様の引っ越し。』として社殿の建替えをして
神移しをするように簡単に説明をされているが正しい答えではない。
社殿の建替えはもちろん神様が使われる装束神宝までもが一切
新しく作られる大掛かりな事業でもある。
一番初めは皇大神宮(内宮)の入り口、五十鈴川に架かる宇治橋
の掛替が行われる。
今年の式年遷宮の4年前、平成21(2009)年11月3日に宇治橋渡始
式を斎行された。


北斗星も完成後の平成21年11月9日に愚妻と共に真新しい宇治橋
を渡り神宮(伊勢)内宮に参拝をしました。

 宇治

宇治橋は明治22年から式年遷宮に合わせた造替であるがそれ
以前は限り修理をしながら…修理も出来ない状態になり掛替を
行っていたようです。
 
出来たばかりの真新しい宇治橋は桧の香りに包まれ、橋の欄干
に手を触れると優しい桧の肌理の細かい滑々した感触は今も忘
れられません。


今回の宇治橋造替も材料である桧材、欅材、和釘等の御用材
は神宮から支給品で建設請負は株式会社間組が取り仕切った。
橋梁は建築では無く土木の分野であるのでゼネコンに委ねては
いるが実際は造替のため従事した職人は宮大工、舟大工等で神
宮(伊勢)の御遷宮に係れるため若い宮大工さんも参加されてい
ると三重テレビで放映された『時をこえて』と云う番組で紹介され
ていた。



平成21(2009)年11月9日皇大神宮(内宮)、神明鳥居は豊受大神宮
(外宮)御正殿で使われていた棟持柱 ! 内側の神明鳥居は皇大神
宮(内宮)御正殿の棟持柱です。
今回の御遷宮後、外側の神明鳥居は三重県桑名市桑名宿の七里
の渡しの神宮(伊勢)の一位の鳥居(神宮遥拝用)として、内側の鳥
居は鈴鹿峠の麓にある三重県亀山市関町関宿の関の東の追分、
一位の鳥居(神宮遥拝用)として20年間使用される。

 
宇治橋は16基の御柱があり葱花型(そうかがた)仏教式に云えば
擬宝珠で装飾される。
橋の造替はされるがこの金物だけは使い回しです。

宇治橋の西詰北側第二の男柱の葱花型には
「天照皇太神宮 御裳裾川御橋 元和五巳未年三月 奉行 山口丹
波守 源直信」と刻まれている。
元和(げんな)五巳未年三月とは西暦1619年4月である。
大阪夏の陣の後の年代である。
江戸幕府の職制に山田奉行が置かれた。
山田奉行は神宮(伊勢)の守護・造営修理と祭礼、遷宮、門前町の
支配、伊勢・志摩における訴訟、鳥羽港の警備・船舶点検などを担
当した。
この葱花型には宇治橋の守護として内宮所管社の饗土橋姫神社
の万度麻(まんどぬさ=お守り)が収められている。

宇治橋平成元年解体古材表札我が家玄関

 我が家の玄関、北斗星家の表札は実は宇治橋の古材を頂い
たものです。
第61回式年遷宮に先達って造替するため平成1(1989)年 に解
体された古材です。

表札の字は伊豆山温泉・蓬莱旅館の女将 古谷清遊さんにムリ
ムリお願いをして書いて戴きました。

近所の書道の愛好家の方がこの表札の字をご覧になり町早春
さんの書いたものと勘違いするほど流麗で独特の書体です。

我が家の玄関の写真が少なくクリスマスに撮影したものしかあり
ません。
神も…仏も…キリストも何でも縋る節操の無い北斗星です

宇治橋平成元年解体古材表札 
 今も我が家の玄関にあり、大切な守り神でもあります。

 宇治橋平成24年8月24日
平成24(2012)年8月24日に参宮に訪れ、宇治橋を撮影。

神宮(伊勢)の事はまた別に書く予定ですが…平成24年8月に神宮
に参拝した時は、「夏場は比較的参拝者が少なくノンビリとお参り
…ー」  と思い、神宮に来て見ると最近のパワースポットブームも
あって家族連れ以外に多くの若い女性達の姿が多く目立ったのが
印象的でありました。