京風懐石 海石榴と言う旅館が神奈川県奥湯河原温泉に出来た
のは昭和50年代の終わり頃株式会社山翠楼が京風懐石をコン
セプトとした29室の料亭旅館として創業された。
山翠楼は当時の湯河原温泉の1泊の平均単価が7.000~9.000円
の頃に行き成り客単価30.000円の宿泊料を設定していた。
そこに別館の海石榴を開業したが当時でも客単価は45.000円~
で随分話題をまいた。
当時のテレビ番組、女性月刊誌その他マスコミでも取り上げられ
高級な食事と施設を提供する旅館として名を馳せた。
当時北斗星は小さな医療機関の事務員として働いていた。
専門的資格の仕事で無いため給与は一般のサラリーマンと比べ
ても低い水準で働いていた。
もちろん当時でも有名な京都の炭屋、俵屋とか高額な宿泊料の
旅館は興味もあり一度は泊まって見たいと思っていました。
また、北斗星は当時、鉄道の趣味もあり生活もするためそんな
にお金を使う訳にはいかない。
愚妻も女性月刊誌を見ては『夢ねぇ~』とため息をついていた。
北斗星は『ビンボー人は積立をして高級旅館に泊まろう…』と
きめ毎日、毎週、毎月、3年7ヶ月、月平均5.000~7.000円積立
をしました。
この写真は昭和62年当時近畿日本ツーリストのパンフに
掲載されていた。
当時は現在の様にインターネット等が無く雑誌やパンフ、
を施設に電話か郵便でカタログを送ってもらいそれから
検討をしました。
当時の情報収集はそんな程度でした…
昭和62年当時のパンフレットの表紙
昭和62年当時のパンフの一部
近畿日本ツーリストで予約した海石榴のクーポン券
1泊67.000円 11月21日~2泊 今では怖くてこんな部
屋代の高いところは泊まれない…
昭和62年11月21日(土)緊張して海石榴に向かう。
海石榴の入り口近くで、写真は愚妻 !!
海石榴の玄関門で…
実はこの時は建物の玄関は工事をしていて客室
を玄関に使用していたためロビーで供される薄茶
のサービスはお部屋で頂くことになる。
328号室 歌枕 と言う70㎡の広さの客室に通された。
昭和62昭和62年当時の海石榴の平面図(部分)
昭和62年当時 328号室 歌枕平面図
昭和62年当時 328号室 歌枕室内より入り口を見る。
この引き戸が出入り口に成ってはいるが防火扉があ
るがドア・チェックが消防法で付いていなかった。
宿泊時のアルバム写真用に北斗星が当時作成した室内図
室内図を見ながら写真を説明すると出入り口左側に
腰掛がありこの写真の冷蔵庫の上側にテレビが置か
ている。
客間・次の間にあたる部屋にはテレビが置かれてい
ない。
このような室礼(しつらい)にはテレビは不要であると
北斗星も考える。
本間の床の間、2間の幅はある。軸は大覚寺派か
本間、床の間から反対方向を望む。
本間から次の間(副間)を望む
本間床の間付近より次の間(副間)の床の間を望む。
洗面室部分
浴室、浴槽は伊豆石で出来ていて窓から外の風景が
堪能できた。入浴しているのは当時の北斗星。
本間より室外を望む。
328号室 歌枕に付属する池には錦鯉が優雅に泳いでいる。
昭和62年11月22日328号室歌枕の本間より見た
室外の風景。
紅葉狩りと名がついた夕食の献立!
先付に供された短冊。
『下紅葉夜の間の露やそめつらん
夜の間の露やそめつらん』
これは有名な宝生流の謡曲紅葉狩!!
紅葉狩り…北斗星頂いております。
前菜、椀物、向付…一品づづ歌枕担当の明美さん
と言う仲居さんが料理を運んでくる。
この間に副女将が挨拶に来て緊張の頂点は上がる。
楽しい宴が終わりお床を整えに来る。その間別室で
お茶と和菓子を頂いても良いし迎賓館の特別室が解
放されていると言うので愚妻と見物がてら眺めに行っ
た。迎賓館の特別室には当日の宿泊の大部分が来
ていて金持ち風の方々ばかり…北斗星の様にチマチ
マ小金を積立た様なビンボー人は皆無?
部屋に戻ると豪華か布団が敷かれており微かに流れ
る水の音を聴きながら眠りにおちた…
これは昭和62年11月22日の朝食の一部。
これも同日朝食の一部。
京風なのでお粥です。
北斗星はお粥より普通のご飯を所望 !
昭和62年11月22日の夕食、特にお品書きはなく
前菜から椀物、向付…と一品ずつ運ばれてくる。
みなさんこの前菜の写真を見て変と気が付きません
か? お箸の上に前菜が来るべきで右の遠くに置かれ
ている。
盃やグラスが箸の傍を占領している。
当時、本式の懐石料理の経験が浅いため北斗星も
愚妻も解らないで遠くの前菜に腕を伸ばして箸をつ
けた。仲居の明美さんの話ではこの器100.000円も
する高価なものとか…粗相の多い北斗星を警戒し
て遠くに置いたか?
それなれば納得(笑)
神戸牛の焼き物、美味しかったです。
これ以外にも美味しい料理が沢山運ばれました。
写真はこの位にします…
昭和62年11月23日の朝食の一部です。
兎に角、贅の極みです。
細巻海老(車海老)の焼き物は絶品でした。
箸右上の赤いものは湯葉の炊き合わせの
器の蓋です。
お粥にご飯、お漬物等
ひろうす(がんもどき)と…何でしたか?
〆の水菓子は大好きな柿でした。
この様な高価な宿は無縁では無く怖い物見たさに
伊豆山温泉の蓬莱旅館に宿泊をしたらここの食事
が美味しく以後ご贔屓にしてしまう。
その話はまた後日に…
実は今から(9月29日)奥湯河原温泉に26余年振り
に愚妻と出かけます。
相変わらず長いブログでごめんなさい。
お願いですが、この記事は昭和62年当時の山水楼
が経営していた別館 海石榴です。
現在は野口観光が運営していて一部施設の改造と
宿泊システムが異なります。
参考: 懐石 海石榴ホームページ
http://www.tubaki.net/
のは昭和50年代の終わり頃株式会社山翠楼が京風懐石をコン
セプトとした29室の料亭旅館として創業された。
山翠楼は当時の湯河原温泉の1泊の平均単価が7.000~9.000円
の頃に行き成り客単価30.000円の宿泊料を設定していた。
そこに別館の海石榴を開業したが当時でも客単価は45.000円~
で随分話題をまいた。
当時のテレビ番組、女性月刊誌その他マスコミでも取り上げられ
高級な食事と施設を提供する旅館として名を馳せた。
当時北斗星は小さな医療機関の事務員として働いていた。
専門的資格の仕事で無いため給与は一般のサラリーマンと比べ
ても低い水準で働いていた。
もちろん当時でも有名な京都の炭屋、俵屋とか高額な宿泊料の
旅館は興味もあり一度は泊まって見たいと思っていました。
また、北斗星は当時、鉄道の趣味もあり生活もするためそんな
にお金を使う訳にはいかない。
愚妻も女性月刊誌を見ては『夢ねぇ~』とため息をついていた。
北斗星は『ビンボー人は積立をして高級旅館に泊まろう…』と
きめ毎日、毎週、毎月、3年7ヶ月、月平均5.000~7.000円積立
をしました。
この写真は昭和62年当時近畿日本ツーリストのパンフに
掲載されていた。
当時は現在の様にインターネット等が無く雑誌やパンフ、
を施設に電話か郵便でカタログを送ってもらいそれから
検討をしました。
当時の情報収集はそんな程度でした…
昭和62年当時のパンフレットの表紙
昭和62年当時のパンフの一部
近畿日本ツーリストで予約した海石榴のクーポン券
1泊67.000円 11月21日~2泊 今では怖くてこんな部
屋代の高いところは泊まれない…
昭和62年11月21日(土)緊張して海石榴に向かう。
海石榴の入り口近くで、写真は愚妻 !!
海石榴の玄関門で…
実はこの時は建物の玄関は工事をしていて客室
を玄関に使用していたためロビーで供される薄茶
のサービスはお部屋で頂くことになる。
328号室 歌枕 と言う70㎡の広さの客室に通された。
昭和62昭和62年当時の海石榴の平面図(部分)
昭和62年当時 328号室 歌枕平面図
昭和62年当時 328号室 歌枕室内より入り口を見る。
この引き戸が出入り口に成ってはいるが防火扉があ
るがドア・チェックが消防法で付いていなかった。
宿泊時のアルバム写真用に北斗星が当時作成した室内図
室内図を見ながら写真を説明すると出入り口左側に
腰掛がありこの写真の冷蔵庫の上側にテレビが置か
ている。
客間・次の間にあたる部屋にはテレビが置かれてい
ない。
このような室礼(しつらい)にはテレビは不要であると
北斗星も考える。
本間の床の間、2間の幅はある。軸は大覚寺派か
本間、床の間から反対方向を望む。
本間から次の間(副間)を望む
本間床の間付近より次の間(副間)の床の間を望む。
洗面室部分
浴室、浴槽は伊豆石で出来ていて窓から外の風景が
堪能できた。入浴しているのは当時の北斗星。
本間より室外を望む。
328号室 歌枕に付属する池には錦鯉が優雅に泳いでいる。
昭和62年11月22日328号室歌枕の本間より見た
室外の風景。
紅葉狩りと名がついた夕食の献立!
先付に供された短冊。
『下紅葉夜の間の露やそめつらん
夜の間の露やそめつらん』
これは有名な宝生流の謡曲紅葉狩!!
紅葉狩り…北斗星頂いております。
前菜、椀物、向付…一品づづ歌枕担当の明美さん
と言う仲居さんが料理を運んでくる。
この間に副女将が挨拶に来て緊張の頂点は上がる。
楽しい宴が終わりお床を整えに来る。その間別室で
お茶と和菓子を頂いても良いし迎賓館の特別室が解
放されていると言うので愚妻と見物がてら眺めに行っ
た。迎賓館の特別室には当日の宿泊の大部分が来
ていて金持ち風の方々ばかり…北斗星の様にチマチ
マ小金を積立た様なビンボー人は皆無?
部屋に戻ると豪華か布団が敷かれており微かに流れ
る水の音を聴きながら眠りにおちた…
これは昭和62年11月22日の朝食の一部。
これも同日朝食の一部。
京風なのでお粥です。
北斗星はお粥より普通のご飯を所望 !
昭和62年11月22日の夕食、特にお品書きはなく
前菜から椀物、向付…と一品ずつ運ばれてくる。
みなさんこの前菜の写真を見て変と気が付きません
か? お箸の上に前菜が来るべきで右の遠くに置かれ
ている。
盃やグラスが箸の傍を占領している。
当時、本式の懐石料理の経験が浅いため北斗星も
愚妻も解らないで遠くの前菜に腕を伸ばして箸をつ
けた。仲居の明美さんの話ではこの器100.000円も
する高価なものとか…粗相の多い北斗星を警戒し
て遠くに置いたか?
それなれば納得(笑)
神戸牛の焼き物、美味しかったです。
これ以外にも美味しい料理が沢山運ばれました。
写真はこの位にします…
昭和62年11月23日の朝食の一部です。
兎に角、贅の極みです。
細巻海老(車海老)の焼き物は絶品でした。
箸右上の赤いものは湯葉の炊き合わせの
器の蓋です。
お粥にご飯、お漬物等
ひろうす(がんもどき)と…何でしたか?
〆の水菓子は大好きな柿でした。
この様な高価な宿は無縁では無く怖い物見たさに
伊豆山温泉の蓬莱旅館に宿泊をしたらここの食事
が美味しく以後ご贔屓にしてしまう。
その話はまた後日に…
実は今から(9月29日)奥湯河原温泉に26余年振り
に愚妻と出かけます。
相変わらず長いブログでごめんなさい。
お願いですが、この記事は昭和62年当時の山水楼
が経営していた別館 海石榴です。
現在は野口観光が運営していて一部施設の改造と
宿泊システムが異なります。
参考: 懐石 海石榴ホームページ
http://www.tubaki.net/