いよいよ病院へ行く日がやってきました。


父には黙って、Fの家に泊まりに行く事だけ告げました。

ここに来てまだごねる私を妹が引っ張るように連れ、電車で一時間と少しの病院の最寄り駅で、Fと合流しました。

ふたりに引っ張られ、病院についに到着しました。

到着してしまった、というのが当時の感覚です。

そこで受付を妹にしてもらい、私はFと座っていました。

チェックシートのようなものを渡され、自分の状態と合致するものを選んでゆきます。

しかしその自分の状態というものがいまいち分からず、二人に助けられながら震える手でなんとか書いてゆきました。

人前で何かする、特に筆記や食事はその頃から殆ど出来なくなっていました。

今でも書類等を見ただけでパニックに陥り涙が出てきます。

書類、という言葉を見ただけで嫌です。

書いている今もどきどきとしています。

どうしてもしなければいけない時も事情を話し、一緒にいてくれるFや妹が代わりにおこなってくれます。

自分は用のない人間だと思うか、悲観的になることは多いか、この一週間での体重の減少はどのくらいか、食事は出来るか、等の設問に、そう思う、ややそう思う、思わない、など答えてゆきます。

その回答を終え、見返した時に自分は少しおかしいな?と思いました。

だいぶうつになってるよ!とふたりに言われ、それでもそうかなあと首を捻りました。

たまたまじゃない?と言うと、それがどれだけの長さ続いたか確認しろ、と返され、なるほど二ヶ月程は続いていました。

自分でも驚きました。

悲しいのも自分を卑下するのも、すべては『情けない』私自身のせいであり、病気とは思えなかったのです。 


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