「tsuneちゃん、こんなの持ってる?」と
妹からラインで送ってきた一枚の写真。
若いころ、多分娘時代に友人と撮ったのであろう
白い服を着て白い帽子を被った母の看護婦時代の姿。
こんな看護婦姿で親父と二人で写っているのは見たことはあるけれど、
こんな初々しくて、はにかんだような笑顔で写っているのはは初めてだった。
私が持っている母の日記帳にも
昔話として慶應病院の看護婦の試験を受けたこと、
そして寮生活を含めての学生時代のことが書いてあった。
こんな地方にいて、よくそんな東京まで出かけたものだと未だ不思議に思っている。
私が少年のころ炬燵に入って手編みで編んでくれたセーターも帽子も
みんな赤と紺色の慶應カラーであり、
これが母の唯一の自慢であったのだろう。
夢を一杯抱えての学生時代、やはり若いころの母は輝いている。
そんな努力家で気持ちは人に負けない頑張り屋の母。
そんな母親の息子であるのに
そんな遺伝子を持っているはずなのに今の自分は何なのだろう
と久々に母の写真を見て反省。