『辛くてしんどいことが7~8割、楽しんだり喜んだりは2~3割』
はプロ野球、阪神球団の金本選手の引退記者会見での言葉です。
『球界の鉄人』と云われ、数々の記録を塗り替えて来ました。
以前、矢張り鉄人と云われた広島カープの「衣笠選手」も三振しても力一杯にパットを振るそんな野球選手でした。
生きると云うことも何かそんな思いもします。
明けて仕事をして、暗くなると家に帰って・・・また仕事して・・・・
母の人生を考えると、子供の為に働き子供の成長と共に老いてゆく・・・・姿。
母に云わせると一番嬉しかったこと、
それは東京で二浪する兄より早く、次男の私が地元の公立大学へ合格したこと。
今までの生保の外交を頑張ってやって来てそれが報われたと云うことみたいです。
でも続いて、何とか東京の大学にも兄も合格して、
二年後には国体なんかに出たおかげで
大阪の大学へ入った三男の進学時代からまた苦しみは始まったみたいです。
働いても働いても仕送りばかりにお金は消えていく・・・・
何度もそんな話を聞きました。
次男は勝手に好きな人を作ってどれだけ反対しても結婚すると云うし、
根負けして・・・
これも順番に関係なく一番先に所帯を持って・・・・
そして、兄と弟の嫁さん探し・・・
こんな頃が息子たちに持っていた夢も一つ壊れ、二つ壊れていく辛さ。
親父も役所の定年を迎えて数年後からのあしかけ十年以上の入院生活。
こんな入院で殆どの貯金は無くなったとか云っていました。
せめて親の苦労を知る息子たちは母を大事にするかと思っていたら、
其々の嫁さんの肩を持って。。。。。
でも今はtsuneが毎日来てくれるから少しは幸せなんだとか・・・・
力一杯生きて仕事して、
気が付いたら子供たちは皆な勝手に生きていたとか。
だから数年前の母が車にはねられてけがをして、
退院の時私に「迎えに来て・・・」なんて電話が入らなかったら・・・
あんな包帯を巻いて、片足を引きずりながらの退院時の姿を見なかったら
今の母との仲は無かったかもしれない。
母には苦しくて辛い時代ばかりだったかもしれないけれど
そんな人の痛みを見て、知った時から人は変わります。
そんな事を教えてくれた母のおかげで
人間としての生き方も随分と変わりました。
でも時々は今日はサボろうかなぁとか思うけれど
母なら許してくれるかもしれない・・・甘えも出てきますが
だけど嬉しそうな顔も見たいし・・・
僅かの時間でもついつい走ってしまいます 。
僅かの会話が親子を繋いでいて呉れます
彼方此方心が揺れる私はやっぱり次男坊・・・・