物心ついた頃から随分と厳しい家庭。
くだらないことをすると良く親父は先祖の話をしてくれました。
そしてガツ―ンと一発。
昔、むかし。。。ずっと昔は源氏方の侍だった様な。
親父は九州宮崎の生れの次男。
そして実家は江戸の期は「薩摩、島津藩」の侍とか・・・・
後で考えれば純然たる武士では無くて所謂 『郷士』
平常は使用人を何人か遣っての農作業・・・・があって
戦いにはそんな使用人を連れての参加・・・・
確かに丸に十の島津藩の家紋が付いた陣笠があります。
ですから何かあると薩摩・示現流の自慢話・・・・
でも親父が示現流をやっていたかは定かでありません。
そんな親父が戦時中は大陸へ渡って、中国語を必然的に覚え、
何時の間にか諜報部隊。。。
今流で云えばスパイかな?
情報を収集し敵方を攪乱する部隊だったよう。
大陸の北からビルマ界隈、台湾まで彼方此方動いていたようで
雨の中を塹壕の中で腹の辺まで侵かり2日も3日も過ごしたこともある様だ。
親父が生きてた頃には年に一度の戦友会に母と一緒に参加していました。
みんなで実家に二度ばかり来たけれど生死を共にした戦友って良いですね。
そんな戦友さんからも、親戚筋からも私を養子に欲しいという話も何回か有ったようです。
『こぬか三合もったら養子に行くな』・・・・だから養子には出さない。
『武士は食わねば高楊枝』・・・どんなときにも耐えると云う事を教えられてきました。
耐えて耐えて・・・・どうにもならなくなったら死んでしまえ
自分より弱いものは虐めるな 助けてやれ
喧嘩に負けて泣いて帰るなら家に入るな
何か四六時中云われていたような・・・・
だから父に逆らうと「歯を食いしばって立て!」でガツ―ン。
「こぬか三合・・・」とは云いつつ、
親父が勧めたお見合いの話も『養子さん』だったけれど。
そんなお見合いもせずに嫁さん一筋・・・・
「武士は食わねば・・・・」なんて教えるから、
未だに見栄ばかり張って・・・・やせ我慢。
だから私の体の中に田舎侍であっても侍の血が流れているんです。
そんな気持ちがあるからどんなことがあっても白旗を掲げることなく頑張れる。
闘う時は最後まで死力を尽くして闘える。
良いこと悪いことも有る中に
逃げたりしないで頑張れる。
辛くても、悔しくても、身体も心もひもじくても耐えねばならない。
人を裏切ってはいけない。
自分より弱いものを助けて応援しても、虐めてはならない。
それが、男、侠、そして侍・・・・
こんなこと書くつもりもなかったけれど
前記事に「侍の子孫」なんて返コメで書いたもので
ついつい頭の中と・・・・文の流れ・・・・です。
とかく人生、生きるって面白い・・・・
良いことも悪いこともあって丁度バランスがとれてるのかもしれない。