先ほどから降り出した雨が音をたて出しました。
 
何か久し振りに雨を見るような、雨音を聞く様な・・・・
 
縁側の戸を開くと雨が少し吹きこんで、
ひんやりとした空気と・・・
 
珈琲カップを手にして、
煙草を咥えてぼんやりとした空間・・・・こんな時間もいいなと思う時間。
 
 
海辺て夕陽なんかを眺めていると
時間の速さと沈む太陽の早さには驚くけれど
夜のこんな時間は過ぎる時がゆっくりで遅くて・・・・
 
一日24時間の中の1時間なんて思うと勿体ないし、
貴重だと思うけれど
一カ月720時間の1時間、
一年8760時間のうちの1時間だと思うと、
決して無駄な時間だとは感じないのが不思議です。
 
無意味な一時間と無駄な一時間、
どう違うかは分からないけれど
無意味な一時間は勿体ないが
無駄な一時間は時々は必要ではなんて勝手に思っています。
 
昔読んだ中国の本にこんな記事がありました。
 
ある田舎の村
 
お爺さんが鍬で山を掘り起こして、
モッコで担いで沼に棄てていました。
村人は 『おい、爺さん毎日何をしているんだ』と聞いたら
お爺さん 『見ての通り、山を切り崩して畑にしようと思ってな・・・』
 
村人は腹を抱えて 『爺さん、おまえさんは何時まで生きるつもりなんだ』
お爺さんは 『オマエさんがたはどうして、そう急ぐんだ
     儂では出来なくても息子が後を継いで、孫が後を継げば何とかなるじゃろ』
 
この辺の考え方が中国五千年の歴史なのかもしれません。
 
何をしても結果がすぐ欲しくてバタバタとやってしまう我国。
 
百年、二百年後の姿を考えるお隣の国。
無意味な事は勿体ないけれど無駄な事は必要なのかもしれないと思います。
 
 
今日、明日結論が出なくても良いんじゃないか、
もっと先の事を考えて・・・・
介護も病も直るかも、直らないかもしれないけれど
やって行くうちになんだそんなこと・・・
なんて思ってしまう時が来るのかもしれません。
 
何時の間にか10年ほど前には考えられないほどに気も長くなりました。
決して、その読んだ中国の話でなくて
これも妻の看護、母の介護のおかげかもしれません。
 
なんて思う梅雨入り間近の金曜日の夜です。