実際として年金を盗った、盗られたと云う
そんな話を毎回聞く方も大変だけど
犯人にされた方も堪らないかとも思う。
山寺の階段を歩く

そんな話を否定するのは簡単でもあり、
肯定するのはもっと簡単でもある。
思いこんでいる話を否定しても
母との摩擦があって
母の哀しい顔を見るだけである。
「ばあちゃん、年金は大丈夫だよ、何時もカバンにしまって、
夜は枕元に置いて番をしているから盗られんよ」
「兄貴は汚い奴だから・・・
前なんて私の枕元のネックレスと一緒に盗っていったのだから・・・
私が死んだら・・・・・・・おまえ、一生、心して付き合わないと」
私にはもう兄弟なんていませんよ、ばあちゃん。
こんな可愛い自分の母親を
施設に無理やり入れることを考えるなんて・・・
そんな事を自分の都合で考える人間は
兄弟でも何でもありません。
間違ったことを云っても良いじゃありませんか!!
何れ自分たちもそうなっていくのです。
ひょっとしたら自分が気づかないだけで
すでになっているかも知れれません。
考える力も記憶力も、判断力も体力も
退化していく自分を考えると時々そう思うこともあります。
いずれにしてももう兄弟のことは考えないし、
兄弟は居ないのだと そう思っています。
頼りもせずにずっとその方が気楽です。
昔みたいに自分で考え、自分で判断していきます。
だから助けも要らないし助けを求めることもしません。
母が求めることを、自分の出来ることをやっていきます。
それが母の傍にいると云うことなんだと思っています。
だから母が亡くなったら付き合う必要もないのです。
「それならばあちゃん、帰るし・・・・行くね」
そして汚れモノが入ったビニール袋を下げて・・・・そんな日が続く。