日本の原風景だとか
綺麗事なんかを言いながら
行政が何ら手を打っていないであろう集落は
日本各地には山ほどあると思います。

当然のごとく、その場所は遥か市街地を離れ
山里深くか辺鄙な場所に存在します。
そしてそれらの多くは限界集落と云われ
葬祭ですらその集落の人間では賄えません。

1年に1度くらいはマスコミに取り上げられるけれど
それらの存在が
単なる懐古趣味で終わってしまうのかもしれません。
過ぎゆく年と共に
家屋は廃屋となり
僅かに残った老人と
、取り残された老人が住み、
僅かな畑を耕し少しの農作物で賄っているようです。
中には忘れさられた老人もいるのかもしれません。

騎馬民族、狩猟民族なら
その獲物を追い、山地を移動するでしょうけれど
農耕民族である我先祖たちは
一度住み着いた場所から離れることも考えず
ひたすらその地にしがみつくだけ・・・
そんな集落で
子供の声が聞こえるのは僅かにお盆の数日だけであり
近所の人との会話もあり陽のあたる日も・・・・そんな数日だけ
だからこそ例えの無いような
『日本の原風景』
と云うような言葉で終わってしまうような気がします。

そんな集落を訪ねてみるとそれは
人間で云うと老歳いて朽ちるのを
ただひたすら待っているような感じです。
そんな交通も買い物の便も悪く
そんな場所に今時の若者は生活できないかもしれません。
けれどそんな中で老いた人が生活しているのも事実です。
そして何かが起きると
マスコミは『日本の原風景が失われた』と
記事にするだけなのです。
同じ集落を毎年、年に数回訪ねてみると
その移り変わりは凄く早く感じるのです。
人間が老いはじめると一気に老けこんでいくように・・・・
連れ合いが亡くなっての独り生活。
年に数回、
子や孫の訪れるのをひたすら待つ、農耕民族たち。
いつの間にか老人もいなくなり
帰る人もなく
廃屋となってその地は自然に戻っていきます。

救われるのはその自然と一体となって生きてきた住まいも
大地に戻れるという事
写真の題材と云うより、
記録写真の為に通うような気もします。
そんな中から加賀市の大土町です。