夕方、孫に贈る絵本とお菓子を箱に詰めていたら
『おとうさん、二階のあの本一緒に送ってあげたら・・・』
『どの本?』
『ほら、あの本』
『どれや?』
『あの本好いし・・・・』
『あれか、一寸早いぞ』
『娘が読んでも好いよ・・・・・』
まさか、妻から絵本を含めて
どの本、この本を子供や孫たちに読ませたいと云う声も今までありませんでした。
新聞、テレビは見ない、携帯も持たない、雑誌も見ない妻が
私の寝室の本箱の上にひっくり返っていた本を
読みはしなくてもパラパラと眺めてくれたのでしょう。
好いと云って呉れるには何ページかを開いて まくってみたのでしょう。
本なんて読まない
超アナログな妻だと半分以上決めつけていた私には驚きと感動の言葉でした。
里山の椿

その本の名前は
≪いっぱいごめん いつぱいありがとう≫
本の表題に惹かれたのか、絵に惹かれたのか分からないけれど
介護に関する本に興味を持ってくれたことが凄い感動でした。
何カ月か前に別の本を探していて
フラッと買ってしまった本
私が半分ほど読んで本箱の上においてあった本を
数ページでもめくって呉れ、
こんな本なら孫でも娘にでも読ませたいと云う思いが出てきたのですから。
この本とは
認知症で徘徊のあるお母さんと同居する陶芸家の女性の絵日記です。
本当はいけないのでしょうが二ページ程そっとご紹介します。
『なんで 綺麗好きで石鹸の香りのするような
これくらいの 母でした。
事が 徐々に家が黒ずみ・・・・・・
出来ないの 「掃除ぐらいきちんとしてよ」と
何度も母を 母を叱責しました。
責めました』 その度に母は悲しい顔をして黙りました (注釈)
『お母さんの物忘れが 母が少し「変だな」と気付いた頃
すすんでいると 私の幸せだけを願い育ててくれたのだから
気づいた頃 今度は何が起きても
私は絶対優しくしようと どんなことになろうとも
心に決めたのに 優しく接してあげることを心に決めた
追い詰め叱ってしまった ・・・・・・・その筈だった (注釈)
どんなときも
慈しみ育ててくれた
それなのに』
何処まで読んだか、何ページまくってみたのか分かりませんが
そんな事より殆どの事に
無関心であった妻が
本を開いてみる気持ちになったと云うこと。
そして
僅かのページを見ることで
妻の持つやさしさがチョコッと顔を覗かせたということ。
その本から受けた僅かに受けたであろう感動を
娘や孫たちに知らせたいと云う気持ち
また
それが素直に表現されたと云うこと。
僅かの会話の中に
長い間一日の殆どをベッドで寝て
精神的病を持つ
妻の今の気持ちに少し余裕が出来てきたこと
最近にない素晴らしいひと時でした。
明日は正直どうなるか分かりませんが
暫くは手をつないでこのまま歩きたいと思います。
明日も穏やかな一日でありますように