「この人と一緒にいたら一番心が安らぐ・・・」
と父親の心を折ってしまうような娘の言葉に
顔をひきつらせながら結婚を承諾した私。
何時までも子供の儘でいて欲しいと
叶わぬ夢と承知しているのに
それを無残に打ち砕いた言葉でもありました。
二人で式場から全部予約し、
段取りしていく二人には何も口も挟めず
此方からはバスをチャーターして参加するのが精いっぱいでした。
例によって兄夫婦はこのバスには乗らず自分等は電車で行くとか・・・変なの・・・・
「あのな、おとうさんが、こんな白髪やら混じった頭で格好悪ない?
茶髪にするか!!」
「そうやねぇ」
娘が送って呉れた黄色っぽい茶色は見事な色に染まって呉れました。
以後はずっと茶髪の生活になりました ^^;
式場の京都○○茂神社の境内で彼氏?夫?
に見せる笑顔は親にも見せた事の無い、安心し甘えきった笑顔であり、
花嫁衣装で手をつないで目の前を歩く娘には
後ろから蹴りを入れてやろうかと思うほどの凛気すら覚える醜い父親でした。
ただ今一つ段取りが悪くて新婚旅行にはいけなかったようですが。
「おとうさん、私、高校で学ぶ物理とか、数学とか歴史とかあんまり世の中に役に
立つとは思わんし、高校辞めて大験受けるのにするわ~」
高二の時 晴天のへきれきの言葉を貰って二日間娘に付きっぱなしで
学校の傍のリンゴの花を見て、自然の不思議さを説き、
高い山から下界を眺め人間の世界の小ささを説いて聞かせた
アヤフヤな頼りない子供の姿はもう有りませんでした。
八畳一間でスパゲティしか作れない頼りない学生生活から
社会人になった彼女は少しずつ階段を上っていたようです。
「私ら結婚しても行く処も無いし、今までよりお父さん達の処へ行くと思う」
なんて甘い言葉にだまされて、
未だに親の家へ帰ったのは片手の指の数にもなりません。
宿舎に居れば僅かの賃料で3LDKに住めるものを
家賃が勿体ないからと○千万円のローンを担ぎ一軒家を買って
もう変な処は父親に似て即決専攻形の生活を送っているようです。
初めてで最後の十日間程のアルバイト賃のお小遣いで一カ月間ものゼミの旅行のエジプトやトルコを廻って来たような倹約家でもあるような無いような・・・変な娘。
ですから一人目の子供が生まれる時も
どれだけ云っても
「自分たちの子供だから二人で此方で産む」
とか云って此方へ帰ることもせず、
二人目の時は幾ら何でも・・・と云う親の淡い期待も飛んで
「二人で協力して此方で産む」とか・・・・
そんな亭主殿も偶には台所に立って包丁を握り、
お握りを握って・・・・娘より上手らしいのですが ^^;
妻の病を気にしているのかもしれないと不憫さもあるけれど
娘の強さにも驚いてしまうほどである。
「おとうさん、あのね・・・・」
と云って膝に座って来た姿は無く、
『ほんとうはおとうさんがいちばんすきです』
と私の誕生日へのプレゼントにメモ紙に書かれた一年生の娘からの手紙、
娘、おまえからお父さんが貰ったものは
手作りのお財布もお人形も手紙も
皆な机の引き出しにしまってあるよ。
だから精いっぱい頑張って生きてごらん。
困ったことがあったら何時でも何処へでもお父さんが行って助けてあげる。
だから病気の母にもっと話をしてあげて下さい。
面倒をかけるとか気にしないでもっと寄って母を安心させてやって下さい。
君のたった一人のお母さん、大事にしてあげて下さいね。
ダラダラと娘とのつまらぬ事を三回も書き綴ってしまいました。
懲りずにお読み頂いて有難う御座いました。