今日から三月、早いですね。
又寒さが戻ってきたようです。
今年はセーターを一回も着なかったような・・・・
着たきり雀の老人みたいと反省しています  ^^;
雪のある棚田
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昨日の続きです
 
寒い日の昼時、ばあちゃんが
  「tsuneちゃん、今日は邪魔くさいから何か出前をとろうか」
あれ、邪魔くさいなんて母は云うけれどそれは私の台詞でないの?!と思う。
 
メニューを広げながら
  「よ~し、ばあちゃんは何食べる?」
  「そうだね~カヤク饂飩でも食べるか、おまえは??」
  「えーと、野菜炒め定食にするか」
中学校の傍の配達専門の饂飩屋は二人分以上でないと配達はしてくれない。
 
その代わり電話をすると 頭にそれと分かる何かを被ってた小父さんが十分程度で配達してくれる。
その頭に乗っかっているモノは時々は少しずれているのがとてつもなく可笑しく思うこともある。
 
母の饂飩には小さな茶碗に飯が入っていて、
私の定食には御椀に饂飩が入っている。
さすが饂飩屋さんである。
 
二人で炬燵の上で旨いねとか、
美味しいねとか云っている間は良いけれど又話は
  「あのね、私の年金をね・・・・兄貴が持って行って・・・・」
  「ふーん」
  「あれにはどうも女がいるんだね、だからお金が・・・」
  「ふーん」
  「この前も・・・・」
 
  『ばあちゃん、それは違うよ』 なんて云える筈が無い。
ふーん、と誤魔化していなければ仕方のない事でもある。
 
老いた母に違うとか、
おかしいなんて言ったら母の頭は余計混乱してしてしまうだろう。
絶対に怒ったり叱ったりは出来ないのである。
 
独りの生活で鬱々と考えている事柄に対して
とてもでないけれど否定するようなことは出来ない。
 
  「あの、ほら親戚の馬鹿兄・・・どうも赤ん坊が生まれたような・・・」
  「ふーん」
  「家の軒下を潜って・・・・」
何時話題を変えようかとタイミングを見ている私。
 
  「ばあちゃん、この残ったご飯で夜はオジヤを作ろうか・・・・温まるし・・・」
  「美味しいかもしれんねぇ~」
  「夕方、竹輪とミツバを買って来るよ~」
御飯を茶碗に移し替え、丼を簡単に洗って陸持ちとともに玄関の外へ出して。
そんな時
  「どうや、仕事は儲かっているか」
そんな言葉をかけて来る母が惚けてきたとは信ずることが出来ない。
時々はつじつまが合わないけれど・・・・それは仕方が無い事である。
 
他人でなくて他の兄弟達が変だ、おかしい、惚けてきたなんて云う時間が有ったら
母と一緒な時間を共に過ごし、
母と一緒な目の高さで向かい合って喋ったらいいと思う。
それを座椅子に座る母に
目の前に立ったままで頭の上からしゃべれば誰だって身構えてしまう。
そんな単純な事を誰かから教えられなくても
分かっていなければならないのだと思う。
 
自分がされて嫌なことは皆なが嫌なのである。
何れ自分たちが老いて子供や孫たちから 
“汚い”とか“だらしない”とかその存在すら否定されるような事ばかり
云われたとしたらどうなのだろう。
“年老いたら子に従え” なんて百年も昔の話であって今では対等と考え、
自分たちにいろんなことを教えてくれた親たちに
何かで返すことが出来れば良いのかナと思う。
 
「ばあちゃん、仕事へ行くよ~、少し昼寝をしとかないと・・・・・」
そんな言葉で外へ出る 。                 
                                           続く
 
 
 
明日から雪マークですね。
何時もより日数の少ない月
月末で週明けの昨日は疲れてしまいました。
そしてあっという間に一日は終わってしまいます。
偶にはゆっくりノンビリと・・・
そんな一日が有っても良いかなと思います。
 
明日はノンビリと穏やかな一日で有りますように