先日、久し振りに福井県、丸岡町へ行ってきました。
この街に友人A君は住んでいます。
そんな彼に十年振りかに電話したのが一月、
そしてこの日行く直前に電話をして再会して来ました。
十何年か前に福井県であった時は県立美術館の主任学芸員をしていました。
金沢の大学で日本画を専攻していましたが彼は決して日本画は上手な方ではありませんでした。
《此処で彼の名誉の為にも云いますが美術を専攻したからと云って
皆が芸術家になる訳でもありません。皆が芸術家になったらそれこそ大変です》
ま、そんな事は良いのですが専攻こそ違え、入学と同時に私に懐いて何処へ行くのもくっついて来ました。
我が家にも私が帰宅する前にもう玄関先に居たり、
家の中で父母と夕飯を食べていたり何処か変わった処も併せ持っていた様でも有ります、
もっともこんな大学へ入ってくるのは皆少し変わっては居るのですが・・・・・・
足の事情もあって何時も女物の赤い鼻緒の下駄をはき、
夕飯を食べ終え、テレビも九時のニュースを終えると終バス近くのバスで自分の下宿先へ帰っていきます。
(私に懐けば父母が飯も食べさせてくれると云う下心も有ったかもしれませんね)
好きだった娘に振られたとか云って酒を飲んで1時間以上泣いていたことも有りました。
そんな事で私より先に食卓に座ってボツボツ、自分の身の上話を私の親に話をしている男でもありました。
やがて落第もせずに卒業、
彼の結婚式には近所の旅館に泊って一晩中酒を飲み明かし、
二日酔いの儘、弐階から餅を撒いて
(当時は彼の住む町にはそんな風習があったようです。)
何とか彼の結婚式を終わらせましたが新婚旅行の途中でも我が家に遊びに来る長閑な人間でもありました。
それから何十年、私の父の亡くなった時も顔出しもしませんし、連絡も有りませんでした。
そんな彼に少し小言も云ってやろうとも思っていました。
彼ら夫婦に昼飯をご馳走になり、其の儘彼の自宅へ招かれました。
彼も自分の体の都合、家庭の都合もあって今の家は四回目らしいのです。
駐車場へ車を止めると
「tsuneさん、これアンタのお父さんに卒業の時、
持って行ってと云われた形見の皐月や」
と玄関先の五本の皐月を指差すのです。
四回家を建てる毎に植替えしながら持ち歩いていたようです。
何も弁解もしませんでしたが
その彼が大事にしていてくれた皐月五本を見て、父にご無沙汰していた彼を許してしまいました。
こんな風に人に対する気持ちの表現も有ったのかなぁと感じたものでした。
人は少しでもお世話になった人を花を見て思い出し、
海を、山を見て思い出して居てくれる
そんな友人が居てくれたことを喜んでいます。
五月この木の花が咲くのを見て
一人でも父を思い出して居てくれていた人が居る事を喜ばねばなりません。
今度ゆっくり酒でも飲みながら昔話をしようと思っています。