何となく過ごした日。
仕事と云うよりあちらこちらに顔を出して、お話して、
妻に変わってメモ紙片手にスーパーで買い物。
「アッ、これ忘れている」の一言で もう一度・・・・
孫に伊勢の土産 『赤福』を届けたり、仕事と云うより
御隠居さんの暇つぶしみたいだったと今日の一日を反省しています。
日曜日の続きです
母の介護と云う言葉の意味を
まだ自分でもはっきりと理解は出来てはいない。
まだ自分で風呂に入り着替えも出来る。
自分で洗濯して、
時にはタクシーでーに乗って美容院へも通う。
御飯は炊けてもおかずの煮炊きは出来ない。
今後の事を考えても仕方の無い事でもある。
なるようにしかならず、
その時はその時で自分で判断していかねばならない。
時々は弟の嫁さんがスーパーで買った野菜などを
届けて呉れるが台所には立たない。
そんな野菜を眺めてその時折の調理方を考えてみるのも
看護と云う行為の中の楽しみの一つかもしれないと思う。
介護と云う行為より、
母の傍に纏わりついて母に甘えているだけかもしれない。
母と一緒に遊んで、時々は遊んで貰って
そんな看護も良いのかもしれない。
一緒に遊んで居ると云うことが
母が喜んで呉れればそれで良いのではと思う。
何時の日かに診療所の医師に今後の事を相談したら
「精神病院へでも入れなさい・・・」
そんな言葉への反発もある。
そんな事をするために親の傍へ通う訳でなく、
妻が今 『鬱病』 と云う病気で悩み苦しんでいて
そんな妻の傍にもいてあげる時間も必要であり、
自分が自分でなく
単にそんな二人の間を流れ彷徨っているように感じる時間もある。
それは仕方のない時間でもあり、時の流れでもある。
母はともかくとして、妻とは何時の日にか
二人で一生懸命に恋していた時のように
笑って甘えての時間が来る事を信じている。
そんな思いが無かったら今の時間なんてやっていられないと思う。
そんな年の正月の二日、
娘が帰る日の挨拶に母の家へ寄った時玄関で帰宅する兄と出会った。
新年の挨拶どころか
「俺の保証人、早く抜いて呉れっ」 と怒鳴る。
「今の分が売れたら抜いて貰うから・・・」
「そんなこと俺には関係ないっ、早くしろっ」 そう怒鳴って出ていった。
何も知らない、分からない子供は泣きそうな顔をしている。
後に残ってる母が 「兄貴なら親代わりでないのっ」 ウロウロしながらそう云う。
そんな時はしっかりしている。
理屈だけはしっかり云う
「○子ちゃん、心配しない良いのだよ、
あんたのお父さんはこんな事に負けないからね」
なんか分からぬ事になって来たなぁと能天気な私が其処に居る。
続く
雪が降ったり融けかかったり中途半端なお天気が続きます。
あの太平洋の海の青さが羨ましく思います。
明日、もう土曜日、
明日の天気はどうでしょうか。
明日も穏やかで素晴らしい一日でありますように