何となく年末の忙しい一日、
妻も落ち着かず出たり入ったりしていたようです。
くっついている訳にもいかず
夕方には頼まれていた物を買って帰りました。
そして暫くの時間事務所顔を出している間
にすっかり御飯の用意は出来ていました。
一寸精神の振幅が狭くなっているのかもしれません。
 
お~~い、もう少しゆっくり歩きなさいよ。
 
私と妻ではありませんよ。
初冬の暖かい日、駐車場から
ログハウスの飲食店へ向かう二人
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昨日の続きです
 
毛筆で書かれたその文章も書体もしっかり書かれていた。
僅か一年で筆跡も文字の元気さも随分と違って来ているのが分かる。
 
読みにくいけれど今書く様な文字とは違って
達筆ですらすらと書いてある。
 
母が云うように取りあえず 『遺言書』 は私が預かった。
 
満足したのか納得したのか、
気にかかっていた仕事を一つ切りをつけて
安心したのかは分からないが母は笑っていた。
いや誕生日の日に私がゆっくりと母の家で遊んでいた所為かもしれない。
 
 
そして次の日昼近くに電話がある。
  「大事な用があるから後で来て・・・」 と電話。
 
郵便局へ行くと云う。
取りあえず母を乗せて行くと定期預金を解約して帰った。
 
  「保証人の事で会社がお金が足りないのならこれを使え」 
 
とその袋を差し出した。
 
  「弟が『焼き鳥や』をする時 おまえがお金を出した事は
  おかあちゃんが知っているから・・・・
  兄ならそんな事はしないけれど
  おまえは本当に根性が好いのだから」
 
  「おまえにあげるのでなく その分返してあげるのだから
  持って行って使えばいいよ」
 
  「兄の保証人の事で銀行で困っているのだろ」
 
 
  「いいよ、そんなこと、ばあちゃんが持っていれば・・・自分で何とかするし・・・・」
 
  「あのね、兄も弟も県外の大学で一杯お金を使って、
  おまえには何もしてやれなかったから その分もあるよ。
  どっち道 おかあちゃんが死んだらお金の取りあいで
  兄が独り占めしょうとして喧嘩になるのは分かっているから。
  今の間におまえが持って行きなさい。
  京都の妹だけはしっかり面倒見てやって、
  おまえとは一番仲が好いのだから・・・・」
 
私も急な話であったし、
後で取った、取られたといわれるのも嫌だったし・・・・
 
  「年金だけはちゃんと頂戴ね。
  だけどおまえがお金がなかったら使っても良いよ
  おかあちゃんは もう何時死ぬか分からないのだから・・・・」
 
 
だけど ばあちゃん、
親父の恩給や年金がいくらあっても私がそれこそ使える筈はないでしょう。
 
それと最近よく死ぬとかそんな事ばかり云うけれど、そんな言葉は禁句だよ。
力いっぱい生きていかなくては。
ほら、昔親父の病院の先生が
親父の命に対する執着心に感心していたようにそれが大事なんだ。
 
だからまだまだ頑張って長生きして下さい。
 
 
そんな日からもう一年が経つ。
長い間良く頑張ってきたね。
いろんなことがあったよね。
ばあちゃんと一緒の入院も面白かったし
ほんとにいろんなことが毎日あったね。
何か妻と一緒の時間よりばあちゃん、
あんたと一緒の時間が長かったような気もするよ。
 
 
生きて・・・・
 
                                        又続きます
 
明日は天皇誕生日、嫁さんは国旗をたてようと云いますが
何十年も出してない国旗は何処にあるのでしょうね。
せめてお正月、元旦の日に・・・・と思う私が変なのかなぁ
 
もう一週間、明日も素晴らしい一日でありますように