日曜日には他愛もなく終日川原で遊んでみたり、それでも別れ際にフッと見せる寂し
 さを感じる横顔。
 
口には一切出さないけれど昼も夜も一生懸命に仕事をしていた彼女。
今でいうバツイチであった彼女には悲しくて辛い事ばかりであったのである。
初めて彼女の部屋へ入って驚いたのは彼女の枕は涙のあとだらけで染みのないところは少しもなかった。
 口には出さないが今まで一人で幼児の事を考えながらどんなに寂しく辛い思いを布
 団の中でしてきたのであろう。
 
それでも昼間の彼女は明るく、学生の身であった私は飲み食いも含めて金銭的にも
 結構援助して貰ったのである。
 
 
 
そして私の就職。
 
年後には私自身の仕事の勉強の意味もあって大阪へ移った。
 その時は私自身も彼女自身も 『結婚』 と云う事を考えていた。
 そのために彼女を実家に帰して実家の手伝いをするようにしたし・・・・・
 そしてその頃から私は両親に結婚の話をしだしたが反対も反対、大反対である。
 
バツイチと云う事に加え、両親の嫌いな夜のクラブ等の水商売勤め、そして実家も
温泉町での旅館業と云う水商売。
 
 
私は親の説得に3年かかったけれど、二人で無理やり強引に所帯を持てば彼女は
 一生 
  『大学まで出した家の息子を盗っていった』 
と云われ続け、一生私の親にい目を感じるからとただそんな思いであった。
 
  「私に対する同情だけなら結婚しないでおこう」
 
と時々強気な口をきく彼女が当時はまたいじらしく感じたものである。
 
大阪から親に何通もの手紙を出し、帰卿の度に頭を下げ、続けた私。
あんなに反対をしていた父と二人で2時間近くバスに乗り、結納の代わりのたった1
個の指輪と日本酒1本を持って彼女の家を訪れたのがつい最近のように思われる。彼女も私も27歳であった。
 
それなりの式を挙げ彼女の親から嫁入り道具代として貰った10万のお金と、私が親から貰った表札とを握りしめて東京への電車に乗り込んだ私たち。
 
 
だから箸1本、鍋1つ、その全てが妻との思い出の品々である
 
 
白山山ろくではボツボツ紅葉が始まりました。