死ぬか、生きるかと騒いでから1カ月余り、退院なんてまだ早すぎると思っていたが言い出すと聞かない家のばあちゃんは満面の笑みを浮かべて病院から私と腕を組んで病院を出た。
元々膝やそこらが痛い母が家にいても食事の用意など出来る筈もないと思うとつい時間を都合してスーパーへ買い出しに行ってしまう。
適当なものを適当に買いながらそして適当におかずを作る。
6月も下旬、そして7月、去年母と一緒に庭先に植えた茄子も今年はしっかり自分で買ってきて植えてあった。
紫色のかわいい花がいつの間にかしっかり大きな茄子になってぶら下がっている。
母の交通事故の前には10日に1、2回程度の顔出ししかなかったが退院以来毎日顔を出して母の具合を確かめるようになった。
故郷 能登半島の夏の海

事務所から割と近くに母の家があって何をするにも楽ではあった。
自分の仕事が一段落ついた昼の時間に 私が覗くと母はクーラーもない茶の間にシャツ1枚で座っている。
子供のように顔を真っ赤にしながら
「暑いねぇ!!」
扇風機の風に当りながら団扇を傍に置いて、それでもしっかりしていた。
そして晩御飯の支度に夕方顔を出すと嬉しそうな顔をして足を引きずりながら
「お帰りぃっ!!」
父が亡くなって10年余り、母はその間ずっと独りで暮らしてきたのである。
いやその父の入院期間を合わせると20年程になるのではないだろうか。
たまに寄る息子たち兄弟も一緒に来る孫たちもすぐに自分たちの家に帰り、自分たちの生活に戻ってしまう。
人付き合いの少ない人である。
たまに訪れる昔の同僚と話をしていても何を考えていたのであろうか。
座布団を土の上に敷いて、父の形見の皐月の植替えから庭先の草むしり、特別何の趣味も持っていない母が3日も4日も場合によって1週間も誰とも口を利かず日がな1日を過ごす。
苦しい大変な、そして辛い日々であったとも思う。