毎朝、毎日、毎晩の電話がある。
でも本当に母の云う 『腐れ縁』 なのかもしれない。
昨年の春 (八十三歳の春先) までは大したこともなく、まだ自分で日常の買い物もデパートへ出かけたり自分で郵便局やら銀行までも行っていた母である。
ただ時折の幻覚と幻聴はあったけれど・・・・・・
母の所へ時折顔を出す程度で、お茶を飲みながら少しの世間話をして、その幻覚と幻聴の口説き話と兄夫婦の悪口を聞いて、天気が良ければ母と一緒に近所の山を一回りドライブしての程度である。
下車の時には
「あーぁ、すっきりした」 が口癖であった。
今考えると父親と私ら子供を連れて山中をお握り持参での薪拾い、山菜とりガ遠い意識の中にあったのかと思う。
せっかく買ってあげた電子レンジの使い方が何時まで経っても理解できなかったようではあるが・・・・・・・。
実業団の女子バレー等の試合まで1人で見に行っていた母である。
そんな母が銀行の帰り道、銀行の駐車場からバックで出てきた車と接触、転倒して1カ月近く入院した。
人との会話や交流が苦手な母にとって入院は辛かったかもしれず、入院で留守にしてある家が心残りであったのであろうと思う。
退院を求められた訳でもないのに自己都合で退院するとかで私の所へ電話がかかり車椅子に座った母を押しながら退院の手続きをとった。
それからである。
母と私の頓珍漢な生活が始まったのは・・・・・