そんな両親であったが・・・・・・・・
 それが地元の大学に入り自宅から通いだすと、未成年でありながら煙草を吸おうと酒を飲んで帰ろうと、夜明けに帰ろうと大学入学と云う、一つの切り目があったのか何も言われなくなって逆に心配になる時もあったのである。
 
やがて定年退職を迎え再就職先へたまに顔を出すと父は喜んで喫茶店に誘い、互いに煙草を片手に向かい同士に座って無言で時間を過ごし、同じバスで帰宅したものである。
 
それはそう云う形でしか表現できぬで父の家庭的な姿であったのだと思う。
 
自宅通学であったが故に他の兄弟には味わえぬ親との共有するものがあったのかもしれない。
 
 
 引揚てからの人生は恐らく子育てに一生懸命で、子供たちが全て一人前になり、いよいよこれから自分たちの時間と云う頃からの闘病生活で、決して恵まれた良い人生では無かったと思う。
 
今もその季節になると父が大事にしていた形見の 『皐月』 が綺麗な花を咲かせている。
 
 
考えてみると成人式には
 「今日から大人だから」 と煙草を1カートン、
大学の卒業間際には社会人になったら必要とかで実印を作ってくれ、
結婚のときには
 「今日から一家を構えるのだから」 と表札をも作ってくれた。
 
一つの人生の節目、折り目のときには何がしかの父親からの贈り物があって、それも父親が示す子育ての一つであったのかもしれない。
 
入院中の父が見舞いに訪れた妻に 「死にかけの時には煙草を一服吸わせてくれ」と頼んだくらいに煙草が好きであった父は、もう煙草のヤニで黄色く変色した象牙のパイプや、ろくに吸いも出来なかったマドロスパイプを突然私にくれたりして父は父で大人になった私を大事にしてくれたのかもしれないとも思う。
 
最後に父と二人で山へ遊びに行ったのはもう社会人になっていた頃。
 
どうして上ったのか未だに分からぬが二人乗りして山道を自転車で走り 『木イチゴ』 を母への土産に採って、また二人乗りしながら帰ってきた
最後の父親と二人きりの遊びが妙に思い出される