「何をしているの?」
「何が何だか分からなくなってきたの・・・・後で来てくれる?」 と母からの電話。
「独りってさびしいね」
「一日誰ともしゃべらないので惚けてきたのかね?」
毎日こんな電話が事務所へ何回もかかる。
それと兄の悪口。
「あのね、ここは事務所で今お客さんと話しているところ。後で又行くから」
「あっ、その時ティッシュ買ってきて」
「分かった、分かった」
「ごめんね、忙しいのに・・・・・」
あの強かった母がすごく気弱になっている。
こんな電話の後はすぐにでも走って行って五分でも十分でも傍にいてあげたく思う。
父が亡くなって十年余りの独りでの生活。
父の闘病生活は、十年以上であっただったろうか。
入退院を繰り返す中、亡くなる一年ほど前に少しのミスで植物人間になっていた。
目は開いたままで宙の一点に視点を泳がせ、点滴と酸素吸入のみの父親の姿。
何を話しかけても当然のように反応もなく、体を動かしてもこれもまた反応がない。
あしかけ十何年にも及ぶ闘病生活はある意味では家庭の連帯意識を強くして、また脆くもして時には大きなヒビを入れてしまう。
母を始め兄弟たちの数え切れぬ徹夜の看病があったろうか。
いや看病と云うより単に一晩病室で付き添いをかねてお泊りしただけであったかもしれない。
それでもある日担当医師から酸素の吸入を止める打診があったけれど三回目の打診時には断る理由もなく応諾した日、元の身体に戻らぬものであり、治らぬものと充分過ぎるほど理解していた筈なのに何とも言えぬ寂しさと虚脱感に襲われたものである。
その日、酸素の量が徐々に絞られ夜中、京都の嫁ぎ先からの到着の時間を見計って酸素が止められる。
大きな深呼吸をひとつして『ガクッ』と首が折れる。
時間の業なのか、見送ることができたのは母と私の二人ではあったけれど、自分でも冷静にそのことを見つめ涙ひとつ出なかったのは不思議である。