う〜ん、、、。
老いていく不安とか経済的不安とか
病気になったらどうしようとか
生老病死の苦とかで 落ち込みがちなのは
今まで安泰に生きてこられたからだな。
幸せに慣れていたから失うのが怖いのか。
人生たかだか後20年だ、、、と寂しくなったり怖くなったりするのも 今まで平穏に生きてこられたからだな。
今まで辛酸舐め尽くして命の危機も感じる様な人生の環境から 今の人生にチェンジさせられたとしたら
たとえ残りの人生が少なくても 毎日感謝で生きられるんじゃないかな、、、。
ああやっぱり甘えがあって感謝が足りないから
心の平安が揺らぐのかな。
生老病死の苦って 免れない人間の定めやと
やるせなく思ってたけど
苦労続きの人生の後に ありがたい、ありがたい、って笑顔で生きているお年寄りも沢山いるものな。
仏陀って悟る前 誰よりも煩悩が深かったのかな。
頑健で裕福で聡明で一国の王子としての仕事に全うし満足して人生を終えても良いところを
絶対に永久に失われない(内面の)宝が欲しい、と思ったわけだから、誰よりも欲張りだったと言えないか?
そもそも 宗教って必ずしも信奉しなくとも
よく働きよく笑いよく食べよく愛し満足して亡くなる人達もいるよな。あるサイトで
それができない人に宗教は必要なのさ、と書かれてて軽くショックだったな、、、。
正しい宗教を必要とする人 霊的成長とかスピリチュアルに関心のある事は 高尚な事だと思っていた(いる)から、、、。
なんだかよく判らなくなってきたな。
でも なんにしろ 幸せになるには
感謝出来る事に、敏感である事は必須だな。