大陸の歴史書:魏志倭人伝

紹介されている邪馬台国

年代も詳細に書かれています。

2世紀末に倭国大乱後、卑弥呼が女王になる。

238年に卑弥呼が朝貢して

親魏倭王の金印ほか鏡などを送られる。

247年に大陸から張政ら役人が派遣される。

卑弥呼がなくなり、台与(宗女)が女王になる。

266年に張政らを送り返す.

当選半島にあった帯方郡(現在のソウル辺り)から

倭まで道程も詳しく紹介されています。

邪馬台国への道程と国々

200年ごろまで続いたとされる倭国大乱

鉄製武器の乱用と考えると

当時の鉄製品分布も一致します。

しかし、邪馬台国の否定値は

九州説や近畿説のほか

四国や北陸など多数あり

未だに決定されていません。

一方

日本最古の歴史書「古事記」は

平安時代の712年に献上されて

主に大和朝廷の天皇家の歴史書です。

卑弥呼も邪馬台国の文字も見つかりません。

上巻には日本神話の部分から神武東征まで

当時の生活感もありますが

ほぼ神業の世界ですのです

事実の部分はわずかでしょう。

中巻の部分が初代から十五代天皇まで

大和猛や神功皇后など神業の部分が

長寿の天皇など不在説もります。

年代も特定することができません。

下巻の仁徳天皇からが実話ではないのか

それでも年代の特定が難しく

信ぴょう性があるのは26代継体天皇

即位が502年で

古事記が作成される200年ほど前です。

考えられる事

1,邪馬台国と大和朝廷は全く異なる国

こちらのほうがすっきりします。

この場合、邪馬台国は九州で

卑弥呼の死後に、大和朝廷が

九州の邪馬台国を滅ぼした。

神功皇后や大和猛が何度も九州征伐しています。

卑弥呼の死後、古墳時代の出来事で

神功皇后の三韓征伐と

朝鮮半島の好太王碑 :400年ごろで

となります。

邪馬台国:近畿説が消滅します。

 

2,大和朝廷=邪馬台国

邪馬台国近畿説の場合です。

邪馬台国と書いてヤマト国と読みます。

邪馬台国近畿説で、倭国大乱後に

大和朝廷が西日本を統一

卑弥呼=神功皇后説では

卑弥呼 =生涯独身、弟が一人

神功皇后=14代仲哀天皇の妻で

     15代応神天皇の母親

確かに、九州に滞在していましたが

九州滞在は9年ほど

 

3,邪馬台国が東征、大和朝廷に発展

こちらでも邪馬台国:九州説

実際に

球種北部と近畿の奈良で

似た地名と配置なのです。

九州北部の王朝と近畿の王朝(大和朝廷)

に何らかの関係があります。

1の説と2の説が否定されます。

卑弥呼の事後に

神武東征が古墳時代の出来事と

なります。

継体天皇即位が502年で26代ですので

西暦300年は200年ほど前

一世代が20年未満の時代です。

不在の天皇や兄弟により継承も考えると

10世代ほどで理論的に考えられます。

実際に

14代t仲哀天皇、神功皇后から

26代継体天皇まで6世代です。

第8代孝元天皇までは欠史7代説もあり

初代神武の東征から14代仲哀天皇までが

5世代ほどの可能性があるので

神武東征が古墳時代の

300年頃の可能性が十分になります。

 

考えられる説が3の

邪馬台国が九州全域を統一するが

九州南北で分裂(台与の時代)

鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)

の子孫が東征して近畿で大和朝廷建国

卑弥呼が太陽神として伝承されていた

天照大神の名前で神格化して

日本神話に登場させた。

天照大神=卑弥呼+台与(邪馬台国の女王)

ツキヨミ=卑弥呼の弟=卑弥呼死後の男王

天岩戸隠れの神話が

卑弥呼から台与への継承

天孫降臨 

王座を奪われた卑弥呼の弟一族が

高千穂へ移住

素戔嗚尊=卑弥弓呼(狗奴国の男王)

天照大神と対立

高天原追放後は

出雲の神として表現される。

卑弥呼の死後の男王が

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が九州北部を去る

神日本磐余彦天皇( かんやまといわれびこのすめらみこと )が九州を去る

当時まだ弱小だった奈良盆地で建国

ナガスネヒコ一族を滅ぼし近畿を統一

九州と同じ地名の国を作る。

大和猛などが幾度も九州征伐(旧邪馬台国)

九州の皇女 神功皇后(仮名)が

大和朝廷の天皇仲哀天皇と結婚

応神天皇が近畿へ戻り16代天皇に即位

この説が有力ではないでしょうか。

 

いずれにしても

邪馬台国九州説が正解になります。

最後に

邪馬台国と対立していた狗奴国

魏志倭人伝によると

博多湾の奴国を含み和人の連合国

南側に邪馬台国があり

その南に狗奴国があると記述

男王は 卑弥弓呼

その官に狗古智卑狗

後漢書によると

女王国より東、海を度ること千余里、拘奴国に至る。

皆倭種なりといえども、女王に属せず。

狗奴国 - Wikipedia

方向が90度ずれています。

魏志倭人伝に従うと

邪馬台国は福岡南部

或いは熊本北部

狗奴国が熊本南部から鹿児島

投馬国が宮崎日向など

後漢書に従うと

邪馬台国は北九州東側

狗奴国は、中国地方(出雲連合)

或いは

邪馬台国が大分か四国

狗奴国が広島、岡山

投馬国が出雲国

になります。

銅矛文化圏VS四隅突出墳丘墓連合が

邪馬台国連合VS狗奴国連合

となります。

共に海人文化で刺青紋々も理解できます。

こちらの国々を倭国とみています。

近畿、中部連合が銅鐸文化圏

のちに大和朝廷で刺青の風習がない地域

いずれにしても

弥生時代後期に大陸が見た

倭人の国々は、近畿までは到着していません。

古事記の上官「日本神話」は

九州と中国地方の弥生時代の出来事

神武東征から神功皇后などが

古墳時代の出来事と言えるでしょう。