後に初代天皇となる

神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)

以後、省略して イワヤ

九州の日向を出発して近畿の奈良で国造りを始めるお話です。

天孫降臨したニニギ

その子、ウガヤ

その4人子の兄イッセとイワヤ

近畿上陸時に近畿のナガスネの矢にあたり

兄イッセが死亡

イワヤが和歌山から奈良へ上陸

既に近畿にいたニギハヤヒがナガスネヒコを打つ

イワレが天照の子孫であることを知り

ニギハヤヒがイワヤに仕える。

※ニギハヤヒは神武東征に先立ち

天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗って

河内国の河上哮ケ峯の地に降臨していました。

三人目の天孫降臨です。

順番で言うと

1,素戔嗚(追放と云う形ですが)

  後に国譲り

2,ニニギが九州の高千穂へ

  ウガヤ王の時代にイッセとイワレが

  国を捨てて東征

3,近畿には

  ナガスネ王(難波)とニギハヤヒ王(河内)の国があった。

イワレが遠回りして着る時に

ニギハヤヒがナガスネを討つ

ニギハヤヒとイワレが話し合い

イワレが王となる。(ここでも国譲り)

その他にも沢山の一族が紹介されます。

高倉下(タカクラジ:熊野)

兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟(宇陀)

兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)の兄弟(桜井)

近畿にも沢山の村々があり

平和でした(纏向遺跡)が

武器の伝来で大乱の時代があり

大和朝廷を中心にまとまった。

この時、日向のウガヤ国は滅亡しています。

九州は筑紫、豊国、肥国、熊襲国になっています。

魏志倭人伝に登場する

邪馬台国連合が筑紫、豊国、肥国

狗奴国連合が熊襲国です。

邪馬台国連合はまとまることなく分裂しています。

イワレの祖、ウガヤ一族は

邪馬台国の卑弥呼とは全く関係ない一族です。

大和朝廷の始まりの歴史です。

古墳時代末期の事実で、のちに

イワレ(神武天皇)の子孫は

京を長岡京などに移し、最後の京都へ

平安時代の始まりとなります。

山陽の吉備、安芸国はすぐに大和連合へ

出雲と筑紫はまだまだの状態です。

特に九州

日本武尊や神功皇后の九州征伐を行います。

最後まで

一つにまとまることはなかったようです。

これらを「古事記」「日本書紀」では

大和朝廷目線で都合よく歪曲させて

神話にすることで平安王朝の正当に仕上げました。