過去の投稿にもありますが

改めてまとめてみました。

魏志倭人伝~旧唐書:魏志倭人伝(邪馬台国) 

日本の歴史の中で一番の話題でしょう

邪馬台国はどこにあったの??

 

魏志倭人伝~旧唐書:魏志倭人伝(卑弥呼) 

2世紀後半から3世紀中ごろまでの出来事です。

何と云っても

238年に魏から新規倭王の金印が贈られる。

247年に魏の役人が駆け付けるも卑弥呼が亡くなった。

大きな使を作って葬儀をした。

二代目の女王13歳の台与が女王に就任

弥生時代から古墳時代へ突入

266年に台与が魏の役人 張政らを送り返した。

 

ここで大陸の歴史書から日本の記事が無くなり

空白の4世紀へ

 

魏志倭人伝~旧唐書:広開土王碑 

まだまだ手がかりはある。

4世紀の出来事です

高句麗と倭国軍が戦闘した。

その時の倭国の軍隊は??

 

魏志倭人伝~旧唐書:宋書(倭の五王) 

再び、日本の事が大陸の歴史書に

内容は、朝鮮半島の支配について

五人の倭王が登場

5世紀から6世紀まで

本当に天皇家??

 

魏志倭人伝~旧唐書:筑紫磐井の乱 

日本の歴史書:日本書紀などに

百済に味方した筑紫VS大和朝廷の継体天皇

529年代の出来事です。

 

魏志倭人伝~旧唐書:隋書 

聖徳太子のかの有名な

日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや

手紙で激怒

600年、607年の出来事です。

 

魏志倭人伝~旧唐書:旧唐書、新唐書 

え~~、本当?>

筑紫が倭国で、大和が日本国

初代筑紫王 天御中主(あめのみなかぬし)から

32代目 彦瀲(なぎさ)の子供が

初代神武天皇で、都を大和に移した。

「古事記」「日本書紀」と違わない??

 

いかがですか。

後は、大化の改新などを得て平安時代

鎌倉時代、戦国時代、江戸時代となります。

アニメキャラの少女、水色の服とベージュのショートパンツ

 

唐書は二つ作成されています。

旧唐書と新唐書

倭国についても違いがあります。

旧唐書では

倭国、日本国の二つに国について

倭国は九州の筑紫

日本国は近畿の大和です。

倭国と日本国では別種なり?

大陸の歴史書「旧唐書」によると

初代筑紫王 天御中主(あめのみなかぬし)から

32代目 彦瀲(なぎさ)の子供が

初代神武天皇で、都を大和に移した。

おいおい、高天原はどこへ、完全に筑紫じゃん

旧唐書 倭国と日本国の神話対決

あめの名前が付く神様は沢山います。

天之御中主神 は何と天地開闢 の神様です。

日本神話に登場する神様を順に数えていくと

確かに神武天皇が33人目?

『旧唐書』倭国伝・日本伝 : 古事記の神々(現代語で) 

新唐書では

倭国については省略されて日本国のみ

時は聖徳太子の時代です。

隋書、旧唐書、新唐書の倭国伝(まとめ) | エクセル塾

県寿司、遣唐使は有名ですね。

当時の大陸の歴史書には詳しく紹介されています。

 隋書倭国(俀国)伝(原文、和訳と解説)

 西暦600年

 倭王の聖徳太子の遣使が宮中にやって来た。

 お上は、その風俗を訪ねさせた。使者は言った。

 ”倭王は天を兄とし、日を弟として

 天がまだ明けない時に出て政務を聴き、跏趺して坐っています。

 日が出ると事務処理をやめ、我が弟に委ねようといいます。” 

 高祖は”これはあまりにも筋の通らないことだ。”

 と言い、さとしてこれを改めさせた。」

この600年の遣隋使の出来事

「古事記」「日本書紀」には書かれていません。

 

 608年、お上(煬帝)は文林郎の裴世清を使者として倭国へ派遣した。

 百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、

 はるかな大海の中にあるツシマ国を経て、

 また東のイキ国へ至り

 またチクシ国へ至る。

 また東の秦王国に至る。

 その人は中国人と同じで

 夷洲と考えるが、はっきりしたことはわからない。

 また十余国を経て海岸に到達する。

 チクシ国以東はみな倭に付属している。

この時代、倭国は大和朝廷の事であるようですが

九州の筑紫は

まだ大和朝廷連合ではなかったようです。

第二回は『日本書紀』に記載されており

607年(推古15年)に小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたと記されています。

科の有名な

「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々)

聖徳太子の遣隋使、人物図

すみませんでした。という事に

本当でしょうか??

まあ。今となって知ることは出来ませんが

大方は想像できますね。

これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に

「蕃夷の書に無礼有らば、復た以て聞する勿かれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという

この後、小野妹子は煬帝からの返事をもって帰国していますが途中で襲われて手紙をなくしてしまった。