奈良を訪れた際に、藤原宮跡の蓮池を見に行きました。
見頃は、7月中頃~8月初旬とのこと。
蓮の花は午後には閉じてしまうらしいので見に行くなら午前中がお勧め。
蓮は、お釈迦さまや阿弥陀如来様など一緒に描かれることが多い花。
最近は、実際に花を見る機会が少なくなった気がします。
見に行った時は、ちょうど見頃の時期真っただ中。
緑の葉が生い茂った中に、ピンクや白の花が点在していて、とても綺麗でした。
その蓮池のそばには藤原宮跡として、かつてここにあった建物の柱の跡が復元されています。
写真で見ると、ただの朱色の柱なのですが
実際に現地に行き、歴史と知ってから見るとただの朱色の柱が違って見えるから不思議なものです。
ここに、かつて日本の中枢があり
天皇がいて、役人がいて、多くの人々が働き、そして国の行く末を決めていた。
藤原宮は、今から1300年以上前に造られました。
694年、飛鳥からこの地へ都を移したのが持統天皇。
ここから、日本という国の仕組みが大きく変わっていったとのこと。
701年には大宝律令が完成。
役人が制度に従って働き、税が集められ、地方が統治されました。
律令は日本をまとめていくために凄く考えて考えて考えて作った画期的な形。
律=犯罪や刑罰についての決まり
令=政治・行政・税・身分など、国を運営するための決まり
「国をどう治めるのか」
「役人はどういう仕事をするのか」
「税をどうするのか」
「地方をどう統治するのか」
「犯罪にはどんな刑罰を科すのか」
つまり藤原宮は
日本という国の形が整えられていった場所ということのようです。
今で言うと、霞が関や皇居、国会議事堂がある東京都の永田町とかがぎゅっと集まった場所
という感じなんですかね。
この場所で国を動かす決定をしていたとは。
そう思いながら、あの朱色の柱を見ると、ただの柱とは思えなくなって来るから不思議です。
人のイメージ力ってすごいですね。
あと、ここで有名なのは大和三山です。
畝傍山、香具山、耳成山。
『万葉集』の有名な歌(中大兄皇子(後の天智天皇)の歌)にも登場するこの三山は
当時の人々にとっては単なる山(地形)ではなく、文化的・象徴的な存在でもあったようです。
他にも香具山(かぐやま)が出てくる歌が百人一首にあります。
持統天皇(じとうてんのう)の歌。
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」
(訳:春が過ぎて、もう夏がやって来たらしい。夏になると白妙の布を干すと語りつがれている天の香具山に、真っ白な衣が干してありますね)
「天の」という言葉を付けることで、香具山の神聖さや特別な存在感を強調しているようで
古代では香具山は神聖な山として考えられていたようですね。
藤原宮跡には建物はなく、建物の柱の跡を復元したものだけが点在しています。
でも、かつてここには
宮殿があった。
役人が歩いていた。
ここで重要な儀式や決定が行われていた。
今そこに無くても想像してみる。
イメージ力はいろんな意味でとても大切です。
藤原京は『古事記』と『日本書紀』にも大きくかかわっているようです。
神社や神様が好きな人は興味がある書物だと思います。
『古事記』と『日本書紀』の編纂が始まったのは、
藤原京ができる少し前の天武天皇の時代です。
藤原京を造った持統天皇は天武天皇の皇后。
つまり、天武天皇の国家づくりを持統天皇が引き継ぎ、
その後の元明・元正天皇の時代に『古事記』『日本書紀』が完成しました。
天武天皇(在位673~686)
↓
681年ごろ、歴史書の編纂を開始
↓
持統天皇
↓
694年、藤原京へ遷都
↓
元明天皇
↓
712年、『古事記』完成
↓
元正天皇
↓
720年、『日本書紀』完成
このような感じです。
この藤原宮でしっかりと考えて編纂していたのが良く分かりますね![]()
それから、帰ってから写真を見て知ったのですが、
ここは世界遺産だったのですね・・・
2026年7月26日に「飛鳥・藤原の宮都」 が世界文化遺産に登録されたそうです。
ちなみに皆さんは日本最古の寺の名前をご存知でしょうか?
その名前は法興寺です。現在は飛鳥寺と呼ばれています。
法興寺(飛鳥)
↓ 平城京遷都後、一部が奈良へ移転
元興寺(奈良)
↳ 飛鳥に残った寺 → 現在の飛鳥寺
法興院ブログの「法興院」
「法興寺」と一字違うだけですので覚えやすいですね![]()






