何もしないの意味 | ほっこりとりーと 318798

ほっこりとりーと 318798

ロンドン在住ボディーワーカー/セラピストです。 
エサレン・マッサージ、クラニオセイクラルセラピー、リンパドレナージュ、フェイシャルリフレが専門。 
セラピーと気づき系を中心に綴ります。 

 

クライアントさんに

「Beeのクラニオセイクラル・セラピーを受けなさい、きっとあなたの学びになるから。

あれこそが “クラニオセイクラル・セラピー“ だわよ。」

と勧められたので、何回かセッションを受けてみました。

 

 

ちょっとムーミンみたいにコロッとしているBeeは、話す声もとても静かで、

黒目の大きな丸い目がこちらをほっこりさせてくれる、穏やかな女性です。

 

 

ベッドに横になってしばらく、ザワザワしていた雑念や後頭部の緊張が、

Beeの静のプレゼンスに共振し、溶けていくのが分ります。

そしてだんだん落ち着くところへ落ち着き、整っていきます。

私が習ったコースの先生たちを含めても、これほど

「この人、何もしてない!」と感じたセッションはありませんでした。

でありながら、受け手が源に、LIFEにつながる「場」が出来上がっている。

 

 

だいたい、体の輪郭が消えてLIFEの動きそのものになった感じになるのですが、

そこでマインドがこの状況を解釈しようとする。 

「あ〜、また始まった〜。」と思っているうちに、半覚醒みたいになってきて、

ハート・チャクラが開いたような、

胴体からモワモワ〜っとしたものがどんどん天井へ向かって広がっていったり、

胸のつまりがとれて軽くなったり。

 

 

昨日のセッションではLIFEへの感謝で、うっすら感動していました。

ああ、マインドが期待した通りにならないことも、それでいいんだ。

LIFEってだけでいいんだ、「Unknown(何が起こるか未知)」でいいんだ。。。

というか、だからこその素晴しさ。 

コントロールしようとしなければ、全ては落ち着くところに落ち着く。

そんなことが、どこで捉えてるのか分らない「印象」として滲みてきました。

これは頭での理解ではない。

 

 

溝口あゆかさんが、エゴが考える計画や戦略は全部ダメですね〜って言ってたり、

アジャシャンティが、「起きていることに対抗しない、そのまま受け入れる。

ノンデュアリティーって結局これに尽きるね。」と言ってたのは、このことなんだなあ、と。

 

 

それで、これから定期的にBeeのセッションを受けることにしました。

これは私のサットサン。

先日見つけた大和田菜穂さんの動画が分かりやすかったのですが、

Beeのセッションを受けるうちにこことつながるんじゃないか?

という気がするのです。

 

 

 

 

 

 

「セッション中、いったい何をしているの? もとい、何を“していない“の?」と聞くと、

「何もしないっていうと、距離を置いているように思われがちだけど、そうじゃないの。 

私は自分のプレゼンスを十分に感じて、クライアントのプレゼンスも十分に感じて、

2つのプレゼンスの出会うところを意識しているわ。」

との答えが、すごく参考になりました。

 

 

クラニオでは「どうもあそこに何かある」と感じたところに手を置くのですが、

そこに集中しすぎると、その一点は「ぎょっ」として、のびのびと治癒力を表現できません。

離れたところにいる人をじっと見つめたら、たいがい目線に気づかれますし、

木の枝に止まっている鳥を凝視したら逃げていきますが、それと同じです。

なので「そこにあるな〜」と認識しつつ、全体に意識を向けます。

 

 

それについて、参考になる本があって、目からウロコでした。

 

 

「集中する」と「意識を向ける」は違います。

夕暮れ時にビーチに寝転がって、空を見上げ、

一番星を待っていると想像してください。 

この広大な空のどこから最初の星が現れるか分からないから、

オープンな広い視野が必要ですね。

一点を凝視したり、サーチライトのように探していたんでは、見逃してしまうでしょう。

「Engaging the Movement of Life」(Bonnie Gintis著)

 

 

チューニングの仕方について聞いた時、Beeが

「友達をお茶のゲストに呼んだら、

あれこれ支度をしつつも彼女が部屋にいること(プレゼンス)

は常に意識しているわよね。 そんな感じかしら。」

というのも参考になりました。

 

 

クラニオの施術をするにあたって、何もしなくていい、とか、何も知らなくていい、

と誤解する人がいるが、クラニオ・システムを信頼し、それに関与することは、

能動的であって受動的ではない。 要求される配慮(あなたと受け手、両方への)、

知識、熟練された意識の向け方、責任感は、

手順をふんだり、技術を使ったりする時より大きい。

(同書より)

 

 

Beeはすごく直感的なセッションをする人なので、

コースで習ったセオリーを守り通さなくてもいいことが分って、肩の荷が降りました。

私はだいたいいつも、ずっと頭を触られているのみ。

それでもあれだけのことが起きるのだから、目からウロコでした。

今クラニオのコースに通っている友達にも、Beeのセッションを勧めたのですが、

彼女の場合は足の裏だけ、しかも手の平でなく、手の甲で触っていたと聞いて、もっと驚きました。

友達がすごく敏感な人だと思ったから、そうじゃないと強すぎると思ったそうです。

最近、クラニオを受けても何も感じなくて悩んでいた友達ですが、

Beeのは体にも心にもビリビリきた、なにか大きなものと繋げてもらった、

と興奮気味のメッセージが届きました。

 

 

セッションが終わってBeeとサヨナラする時に感じた彼女のプレゼンス。 

それは主張もないし、特に何をしてるって言えないたたずまいなのに、

この人が与えるこのインパクトってなんなんだろう、と不思議な気分で、

Beeを紹介してくれたクライアントさんが、

「Beeはなんだか知らないけどすごく深遠な人なのよ。

上手く説明できないんだけど、とにかくセッションを受けてみて。

受ければ受けるほど、すごいことになるから。」と言っていた意味が分りました。

ムージが「Somebodyになろうとするな、Nobodyであれ」

と言っていたことを思い出しました。