こんばんは♪

中村でございます♪

突然だけど
この「やばい」という言葉ってどう感じる⁇

正直言うと…
私…とてつもなく好きではありまてん(・∀・)
実際は書くのも嫌。笑

いつからか
当たり前に使われているこの言葉。
今となっては若者言葉とも言えないくらいの登場回数よね。世代を問わずじゃない⁇
いつくらいからだろー⁇
20年以上は経つかな⁇

私は当時から違和感しかなく
採用せずに生きて来た訳だけど
それは単純に日本語が好きだから
「豊かな言語で表現したいなぁ〜」って感じたからなの。
と言っても,語彙力はお感じの通りだけど|( ̄3 ̄)|


どうも
この3文字が考え・感覚・感情をものすごーく
簡素化しちゃってて,実際の思考力や感度を有耶無耶にしてる感が否めない。

例えば
美しい事を
微笑ましい事を
愛くるしい事を
嬉しい事を
寂しい事を
美味しい事を
格好いい事を
感動した事を
感謝が湧く事を
素晴らしい事を
バカにする事も
悲しい事も
腹を立てる事も
不安を感じている事も
不満を感じている事も
恐れにたいしても

などなど,到底書ききれない
あらゆる表現が見事に代理で表現出来てしまう
この3文字。

ある意味凄いのだけど(・∀・)


現時点で好んでお使いの方を否定している
気持ちはないので,もし,あなたがそうなら
一つの見解として受け取って頂けると嬉しいかな。



「思い込み」というのも
かなり似ている部分があって
ようは「そうである」って事にザークッリまとめちゃってる感じなんだよね。


「思い込み」に対して検証を重ねてなくて
10年…
もっというと平気で20年・30年〜と保持した
「思い込み」を検証するどころか,厳守の体験を重ねて疑いようもない真実かのようになってしまったり。


これは
簡単な言葉や表現で丸っとひとまとめで済ます事も大きなお手伝いをしてしまってるんだよね。

「私を知る」作業というのは
実際はとても根気がいるし
とても勇気がいるし
とても脳を使うし
とても面倒くさいもの。


コンパクトにまとめていたものを細分化していく過程では,沢山の言葉で表現する必要があるし
感覚や感情もなるべくフィットする言葉に置き換えていくから。

ただし
観たり考えたり細分化した分だけ
「私を知る」事が楽しくなるのは必ず(^^)

それは
必ず体感出来るんだよね。



色々と簡素化するのは便利で効率的な事も沢山あるけれど,やはりそれは全てではなくて。

簡素化出来ないもの。に関しては
手間を慈しみ,その体験を愛おしみ思いっきりアナログである大切さを享受する。

人間の心・精神・行動・行為・情熱・魂・想い
などなどは
それにあたると思うんだ(*^^*)

あなたはどう感じるー⁇

色々な角度から観る事は面白いのだ(^^)

最後まで読んでくれてありがとーー♪