Ray Charles(Robinson, Ray Charles, Senior; 1930~2004 以下、Ray)が天に召されてからきのうで20年の歳月が流れたが、Rayを知れば知るほど「平穏な人生でなかった」ことを強く感ずる。

 

 Rayは6歳若しくは7歳でお父さまを亡くし、Professionalのミュージシャンへの道を歩み始めるきっかけはお母さまの召天(当時Rayは15歳だったという)だったとの旨を高等学校在籍時にラジオで聴いたことがあるが、Rayにとってこれらのことは大変辛かっただろうと感ずる。特にお母さまの召天によりRayは天涯孤独となってしまったとの旨を聴いたとき、「そのようなことがあったとは……」と感じたものだ。ご親族が相次いで天に召され、Rayにとっては大変耐え難(ガタ)かったろうと思うばかりでなくRayの青春時代の辛さをもまた感じ取ることとなった。そしてRayのベスト盤を購入し、‘Georgia On My Mind’をレコーディングした頃Rayは涙を流したとの旨を付属の解説書で拝読したので(曰く、1回のテイクでヴォーカル録りができたとの旨)このときにご親族との思い出が次々と湧き出していたに違いない(記事・‘Georgia On My Mind’ ¶3をも参照せよ)。

 

 しかし、Rayがもたらした音楽的影響は大変良く大きい。The Beatlesは勿論Frank SinatraやElvis Presley、Stevie Wonder、Elton John、Billy Joelといった方々は皆Rayから強く影響を受けている。Billy Joel(以下、Billy)は1986(イッセンキュウヒャクハチジュウロク)年のアルバムでRayとのセッションを実現させたとの旨を、高等学校在籍時に聴いていた音楽番組(このときはBillyの特集だった)の中で知る。ただ、「さあ、始めましょう!」となるとBillyはガタガタと震え、緊張していたとのエピソードをこのとき知るけれども、ここからこれ以上にない「尊敬」を感ずる。それはElton Johnも近い思いがあったかも知れない。Rayが最晩年に吹き込んだデュエットアルバム(まだ購入していない)で‘Sorry Seems To Be The Hardest Word’(『悲しみのバラード』の邦題がある)でRayとElton John(以下、Elton)との共演が実現したときの話としてEltonは「Rayがサビの部分を歌うのを聴いて胸がいっぱいになった」と話して下さった(NHK『我が心のレイ・チャールズ』を通して知る)。また「Rayからは大変影響を受けた」とも話して下さっているので(Ibidem)これらからEltonが持つRayへの「尊敬」の気持ちが解る。更に、The Eaglesのメンバーの1人であるDon Henleyも名バラード・‘Desperado’について「この曲を演奏するときはRayのことが思い起こされる」と語っていて(The Eaglesの2枚組のベスト盤に付属の解説)、Rayから受けた音楽的影響の強さと「尊敬」の気持ちとがひしひしと伝わる。

 

 そこで、Rayの召天から20年にあたって改めて思う。「Rayが世にこれまで問うてくれた音楽を中心にRayの遺してくれた音楽がこれからもとこしえに歌い・演奏され継がれ、あわよくば若い方々にもRayを知る若しくは知ろうとするきっかけが与えられて欲しい」と。