きのうの続き。きのうの記事に於いて申し上げた、栗山町にある「泉記念館」と「開拓記念館」とは「角田」と呼ばれるエリアにあるのでバスに乗って出掛けると良いかもと思っている。

 

 この両者の訪問については、北広島市某所にある仕事の拠点の支援員さんから「いつか、行事として栗山町を訪れたい」というお声を頂いたことがきっかけの1つとなった。僕も栗山町(以下、同町)出身の者でありながら小学校3年生の頃以来暫くの間(カン)両者を訪問していないのである種の「危機感」を覚えている(>_<)。きのうの記事に於いて申し上げている通り、前者については同町の開拓に注力した泉麟太郎氏(Mister Rintaro Izumi: 1842~1929―以下、麟太郎氏。生没年の情報は『Seesaa BLOG これこれ好きだったんですよ』より引用)が住んでいた家を活用した記念館で、同町のWebページに拠れば建物そのものは麟太郎氏が1898(イッセンハッピャクキュウジュウハチ)年(19世紀終わり頃)に建てたという。ただ、麟太郎氏については名前と顔とだけ知っている程度で、生涯や詳しい功績などを知らないのが正直なところだ。加えて、先述の通り最後に前者を訪問してから30年近くが経つのでことしのゴールデンウィークの後半のどこかで久し振りに両者を訪れてみようと考えた。

 

 後者は前者と同じ敷地内にある。前者が茅葺き屋根のレトロな外観に対して後者はモダンな外観が特徴だ。そのようなモダンな外観の建物の中には昔の農具や学校を再現した展示などがあり、学校を再現した展示については僕も覚えている。また、(アタカ)も気球に乗って上空から同町の風景を見下ろすかの如く映像が展開されるアトラクションもあってこれは後者の中の展示で最も気に入っている。ただ、前述の通り最後に後者を訪問してからも30年近くが経つ為展示内容が変化している可能性は捨て難(ガタ)く思っていて、そのアトラクションについても同町の最新事情が反映されているのか否かについて気に掛かることも確か。とは言っても同町の開拓からの変遷を辿(タド)れることは確かなので、「モダン」と「レトロ」との両方を感ぜられるとも言えよう。他方、30年近く訪問していないからこそ展示内容がどのように変化したのかについて「楽しみ」でもあると申し上げても間違いではなかろう。

 

 どちらにしても30年近く訪問していない場所なので、ことしのゴールデンウィークの後半を利用して久し振りに両者を訪問してみたいものだ。また、許可を頂ければ両者の外観や展示物などをも写真に撮って、このブログにも掲載したいと思っている。