偉大なる天の父なる神さま、あなたのとうといお名前を崇めて讃美致します。

 

 「東北地方太平洋沖地震」及びそれに因って引き起こされ、「想定外」では許されないほどの甚大な被害をもたらした「東日本大震災」からきょうで10年が経ちます。被災地にあってはきょうも、避難生活を余儀なくされている方々が多くいらっしゃることを思うと胸の張り裂ける思いが致します。また、この大地震は大変大きな津波をも引き起こし、見慣れた町並みや風景が一瞬のうちに破壊されたばかりでなく、あまたの方々が津波で命を絶たれる事態が起きました。この僕は直接被災した訳でこそありませんが、テレビやラジオなどを通して被災地の状況が次々と報ぜられる中、心理的に大きなダメージを受けました。特にこの震災で大切な人を失った方々のお悲しみは言葉で表現できないほど大きなものだろうと思われます

 

 しかしながら、被災されたお1人おひとりの為にこの僕ができることは限られていることも事実で、このことに関してある種の「歯痒さ」を感じます。巷(チマタ)ではできることを精一杯行っていけば良い、との旨を伺うこともありますが、被災された方々が抱える悲しみや苦しみ、怒り、やるせなさなどという感情はこの僕の胸の奥深くに突き刺さります。と申しますのは被災地にあっては依然として復興が進んでいないどころか、その為の最初の1歩を踏み出すことさえできていない印象を受けるからです。そのような中、被災された方々の抱える悲しみや苦しみ、怒り、やるせなさなどの感情を(アタカ)も踏みにじるかの如く余震活動が依然として活発な状況が続いています。あまつさえ、このような事態にどこで・誰が・いつ巻き込まれるかなど僕たちの力量だけではわからないことです。即ち、誰にとっても他人事(ヒトゴト)ではありません

 

 願わくは、被災されたすべての方々にあなたの憐れみが示されることのできますよう宜しくお願いします。そして、この震災で命を落としたすべての方々やご遺族の方々、関わりのある方々にあなたの憐れみが示され、あなたの御手(ミテ)にある希望が与えられることのできますよう宜しくお願いします。また、あなたの時にかなって、被災地に以前の日常が必ずや戻ってくることのできますよう宜しくお願いします。最後に、このお祈りが、この僕の素直な気持ちをこめつつも、この眼(メ)でそのみすがたを伺い知ることのできないあなたにしっかりとすがり・信頼をしてその上でお捧げするお祈りとなることができますように。また誰よりも被災されたすべての方々の為の「執り成しのお祈り」としてお捧げするお祈りとなることができますよう、主の導きをお願いします。

 

 あなたにすべてを期待し委ねて、愛するイエスさまのお名前によってお祈りをします。

 

アーメン