広汎性の発達障害を抱えながら限りあるこの地上の命を歩む僕にとって最も辛いことは、具体的に「いつ・どこで・どのような時に・どのようにして」その特性が表に出るかについて僕自身でもよく解らないところ。

 

 普段の生活に於いて「これが障害の特性か?」とぼんやり感ずる現象に関しても、解る場合と解らない場合とがある。例えば、職場に於ける「朝の会」の場面。この中で何らかの事情により退職をなさる方や新しく勤務する方、実習に臨まれる方々の紹介が行われると僕の意思に反して気持ちが昂(タカブ)る場合のあることがここ最近漸く見えてきつつある。今思えば、初めて体ごと「聖会」の会場に運んだとき(2018年)も僕の意思と反対に気持ちが昂って「ここが唯一の恋愛チャンス(≧∀≦)!!」という感じ方が生じてしまった可能性も捨て難いだろう{詳細は記事・『今だから言える、とほほ話』(¶3)を参照せよ}。加えて、記事・『ASD特性』で申し上げた「衝動性」の原因の1つとしてこれが考えられようとも感ずる。

 

 但し、既述の通り基本的には「いつ・どこで・どのような時に・どのようにして」障害特性が表に出るかよく解らない(id est:「いつ・どこで・どのような時に・どのようにして」表に出ても不思議でない)。そこで少しでも深く理解する為の手掛かりがあることを期待して、発達障害に関する本を札幌市清田区某所の書店で見付け購入したところだ。無論本稿執筆時点に於いてはまだその本を読み進めている最中(サナカ)なのでどのようにも申し上げられないけれども、これを読むことで当事者としてどのようにこの障害の特性と向き合うのが良いかについてを僕なりにでも理解できたら……とも思う。他方、この障害特性の「見える化」(可視化とも)の為に僕には何ができるか?と感ずるので、その一環として「ヘルプマーク」(vide infra:頂くにあたっては大変大きな葛藤があった)を付けたカバンを1つ用意して持ち歩くよう心掛けている。

 

 障害の特性が表に出るのを防ぐには「自律」(Self-control)が最も望ましいことは本稿で申し上げるまでもないかも知れない(記事・『「自律」に必要なこと』及び『症状が出てしまうか?』を見よ)。その為にも「神さまの力」が時にかなって示されることが大切と感ずる。