きょうから7月(ナナガツ)が始まり、2018年も後半に入る。僕が感ずるには普段通う地元の教会に於ける元日礼拝につい先日参加したようなところであるが……。

2018年は特にこれという目標を立てずに過ごそうとしていることは、以前も申し上げた通りである(こちら)。勿論僕にとって初めての経験が数多くあった(exempli gratia:初めて「聖会」の会場へ直接足を運んだこと)印象もあるが、ここから「信仰を育てる」為の手掛かりを得られた事実もある。また、先述のことからかよほどのことがない限り気負いせずに過ごせる場面が多くなってきていることも感ずる。以前の僕ならば目標を立てても達成できないケース(というよりも、できないことを目標として掲げるケースと表す方がふさわしいかも知れない)が多かった。でも、2017年5月下旬にその教会にて洗礼を頂いて以降、「この世界は神さまが創られたもので、且つ神さまによって支配される」という信仰の基礎を築こうとすることから始まった。その為か2018年は先述の通りこれという目標を立てずに過ごそうとすることができたので(敢えて申し上げるなら、「すべてを神さまにお任せする」ことだ)心理面に於いては比較的落ち着いて過ごせているのかな……?と感ぜられる。

ここまでの「大きな変化」としては牧師先生より紹介して頂いた札幌のホーリーショップへ足を運んで卓上十字架と『新改訳聖書』2017年版とを購入したことと(vide infra:後者について厳密には足を運んだ日に予約を入れ、受洗から1年となった日に手もとへ届いた)Facebookの利用を始めたこととが挙げられる。後者については小学生の頃からの友人と地元の教会の牧師先生ご夫婦が利用なさっているからというのもあるが、これをきっかけとして利用を開始した訳では決してない。大学の頃にできた友達ともやり取りを継続できるようにと思って始めたことが1つある(その頃にできた友人もFacebookを利用しているようだ)。このブログを1人でも多くの方にお読み頂ければ……という思いもあるが、ここへ操縦桿を向けるまでに二の足を踏んだことについてはここで申し上げるまでもないかも知れない。それでも、思い切って利用を開始してみたところこれによって初めてその教会と同じ宣教団(Allianceといってもよいかも知れない)に所属する諸教会の先生方や各地に住まわれるChristianの方々とのつながりも与えられたので(事実、Christianの1人とMessengerを使って通話するきっかけが最近与えられた)そこにもまた僕の思いを超えた「神さまのご計画書」があることを痛感する。

 

勿論神さまにお任せできていない面もあるので、神さまにお任せできたところはこれからもこの調子で、お任せできていないところについては意思を働かせ「神さまのご計画書」のみが為されるようにというのが後半の目標だろう。