天の下に皆、平等に助け合い幸せに生きて行こうと天皇を象徴に国のまとまりを最も意識して来た日本人、四方を海に囲まれた地理的好条件も手伝い、その思想と国体を継続し今に至る
元寇までは、海に囲まれた要塞に安心していたが元と朝鮮の連合軍が対馬で住民を虐殺し、博多に上陸し、日本の武士連合と一戦交えて、初めて日本は。危うい野蛮国家の隣に位置していることを痛感する
そこから国防意識が芽生え、時代に合わせて国土防衛を行ってきた
おふくろから聞いたことがある
昔は、子供が悪さすれば「ほら、モッコ(蒙古)がやって来るぞ」と子供を言い聞かせたのだと。子供からすれば、得体の知れない恐ろしい者と感じ、大人しくなると言う風習が根付いていたと。
つい数十年前までのことである
今は、その言葉自体聞くことはほとんど無くなった。
しかし、昭和の時代まで、元寇によって日本が脅かされた記憶を絶やさず、800年近くも一般民衆の中に、過去の戒めを伝え継ぐ風習があったのだ。800年続いたものが今、私たち日本人の代で、その大切な教えを一つ忘れ、捨て去ろうとしている。
それで良いのだろうか、先人が800年も続けて来た教えである
今の時代に特定国を批判し、ゆすりタカリばかりしている中朝と同じことをする必要はないが、先人が長らく伝えて来たことを捨て去ることは私は賛同できない。
少なくとも、言葉の意味を意識しなくても、子供を叱る昔から伝え継ぐ言葉として残すべきだと思う。そして、意味は知らなくとも、その言葉に興味が沸けば、そのいわれを調べて過去の重大な歴史を知るきっかけにもなる。
中華帝国の野蛮さ、恐ろしさを、そのような形で言い伝えてきた日本人
どんな時代になってもその警戒心は解くなと言う教えである
先人の教えは語り継ぎたい
朝鮮通信使の一人、金仁謙は日本に来て日本の国を見てどう思ったか?
人のものは自分のものと言う中華思想のエゴを正直に語っている。
朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』 ●1764年1月28日 京都
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街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ肥沃な農地が無限に広がっている
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
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発展した日本への嫉妬。まぁこれは人間ならあるだろう
しかし、日本を征服して朝鮮国にしてしまいたいと正直に語っている
もし戦前に日本と朝鮮の立場が逆ならば、朝鮮は日本を侵略し朝鮮通信使が願っていた日本支配を実現しただろう。しかし、実際は、朝鮮は国力を上げられず発展せず諸外国に翻弄されて終わったが、どちらが支配するか、されるかは、その時代は、国力のバランスで決まるのであって、それ以外の要素はほとんど影響しない。
たとえ、現在、特亜三国が世界の模範国家であり世界から賞賛される国であったとしても(まったく逆であるが)、過去は過去の歴史の事実として語り伝えるべきである。
現在でも、特亜三国は日本にとって、最も平和を脅かす存在である。中華帝国は、過去に民族差別思想と侵略思想で周辺国を侵略して来た野蛮国家であることは、きちんと将来へも語り継ぐべきである。
先人もそれを望んでいたはず。
先の東北大震災では、先人が過去の大津波が押し寄せた限界を石碑や神社の建立位置を持って将来の日本人へ伝えようとした。書物などよりも日本人が最もそれを破壊せず残すのが神社であることを理解し神社を標識に使った知恵は素晴らしい。しかし残念ながらその有難い先人の教えは十分今の日本人に伝わっていたとは言えない
それを語り継ぎ、数百年前のことでも昨日のことのように先人の教えを守る意識を持っていた地域の人々は、犠牲者が少なかったと言われる。
先人が将来の日本人に教え伝えようとした危険な出来事や災難の歴史は、忘れてしまえば、必ずしっぺ返しが来ると言うことを肝に銘じる必要があるだろう。
先人の教えは、必ずいつかは役にたつものばかりです。
先人への感謝とともに教えも大事にしましょう。