先日、慰安婦と日本軍について話をした方は、歴史を語るには歴史学を勉強した者だけが出来、それ以外の者が語るものは暴論であると言う主張であった。いかにも正論に聞こえるが、制度を知り組織を動かせない、武器を知り戦いに勝てない典型的な硬直思想である。
価値観と言うのは、いつも否定の攻撃と確認の認識を続け、ある時代は善に、ある時代は悪にも変わるものである。硬直した価値観がいかに危険で、日本人は価値観を硬直させない多様価値化を大事にしてきたからこそ何千年と続く伝統文化と日本的社会を継続できていると前記事でも書いてきた。
歴史学を学んだものでなければ歴史を語れないなら、学者仲間だけで議論すれば良いのであって下界に降りてくる必要はない。
一般人が知りたいのは歴史学ではなく、その歴史事象の真実であり、当事者の考えである。一般人とそれについては話ができないなら、下界に降りて来る必要なし。また一般人を諭すことも反論も出来ない学者は、果たして学者と呼べるかも疑わしい。
前置きが長くなりましたが、今日は、その方の言いう道理に外れたにわかスポーツ評論家として
愛ちゃんの卓球全日本2連覇について書こう
小さい頃から全国区で有名になり、特に海外選手との対戦は強く世界ランキングも10位以内に入った。しかし、この全日本選手権だけは、どうしても欲しいタイトルでも取れなかった。
彼女の持ち味は、左バックハンドを武器とした攻撃スタイルだ。
8割がた攻撃主体である。このスタイルは勝つときは勢いあるが、下位選手にも取りこぼす。
その後スランプに入る。
この攻撃スタイルには見ている側も限界を感じていたし本人もそうであったろう。
しかし、彼女は、北京オリンピックの1年前ぐらいから明らかにプレースタイルが変わっていた。今までなかった、”待つ”、”つなぎ”が多く見られた。
攻撃一辺倒から、スタイルが変わった。
そして、勝てなかった外人にも勝てるようになり、オリンピックでも大活躍であった
時を同じくして、これはテニスの錦織圭選手も全く同じプレースタイルの変化があった
キスした仲だからなのか(笑)
一般的に日本人選手は、その体格の不利さから、守って守って守り抜いて相手の疲れや気力の隙が出たところを突くと言うイメージが強い。勝負が短い時間で決まるレスリングや柔道は別だが、卓球はそれなりに長く、テニスに至っては2,3時間かかるのが普通である
その中で日本人があのように攻撃的に出るタイプが多いのは意外な気がする。
まったく、素っ頓狂な、話しだが、もしかしら、遠い遠い過去の古代の日本人は超攻撃的タイプが多かったかもしれない
しかし、攻撃を繰り返し人も社会も疲弊し、もうその攻撃的価値観を捨て去り、みんな天の下のもとに、すべての人々が助け合い譲り合いの協力型タイプへ価値観の変更をしたのかもしれないと思ったりもする
それ前までは、まさに極東の島国には鬼が住んでいた鬼が島だったのかもしれない。しかし、鬼たちは戦いを止め、平和で穏健な社会に変化したのかもしれない
愛ちゃんや錦織圭選手の出始めの頃の超攻撃的なスタイルを見ているとつい鬼が島時代の鬼の気迫が出ているのではと感じる私は妄想ふくらまし過ぎか(笑)
しかし、「変化できるものだけが生き残れる」このダーウィンの言葉は、
平和で穏便な、やさしい人でも鬼になる
鬼であっても心優しい普通の人になれる
両方を説いているとも言えるだろう