今年も残りわずか。
本当にいろんなことがありました。来年への抱負もかねて語らせていただこうかと思っております。
まずは1月、新年は高校の友達と知多半島の師崎に初日の出を見に行きました。午前3時ごろについたのですが最寄りの駐車場が満車で入れず長蛇の渋滞が発生していたため私と友人とで協力して先頭から順番に移動を促し、何とか日の出を見ることができました。ですがその帰りに止めていた車を友人T氏が出庫する際、フレームの角を電柱にこすってしまいものすごく落ち込んでいたため、隣に座っていた私は機転を利かせてT氏に対して「お前こんなことでくよくよすんなよ。俺を見てみー、1浪したのに勉強もせんと遊んでばっかだわ。人生失敗しとるで!」と笑顔で言いました。彼が気まずそうな顔をしていたのがいまだに忘れられないです。1月といえば共通テストもありました。細かいスコアは覚えていませんが全体で6割だったのは覚えています。6割では私の志望している大学に足りず、あきらめたくもなかったためもう一年浪人することにしました。今思えば私立大学の入試ではおおむね受かっていたため、つべこべ言わず進学してもよかったかなと思います。
2月、国公立の試験に向けて過去問をたくさん解いていました。いくつかの年では合格点を超えることが多くモチベージョンになってはいたのですが、かなり大まかな採点だったことと共通テスト6割を加算せずに計算をしていたため実際のところ、合格点を超えることはなかったと思います。
3月、受験の制約がなくなったため自動車学校に通うのと野球のオープン戦を観戦しに行くのと新しくバイトをはじめました。それぞれ話したいと思います。
自動車学校では普通免許(MT)を取得しに行きました。本当はオートマの免許がよかったんですが親父が「マニュアル取れ」と強く説得してきたため、そちらを取りに行きました。もうとにかくエンストしまくりでトラウマになったのを覚えています。
あとはドラッグストアでアルバイトを始めました。慣れないレジ作業、悪質なクレーマー、毎回大量の薬を買いに来る中国人とさまざまな雨嵐にさらされながら仕事をしていました。ただ職場環境が良かったので楽しく仕事ができてたかなと思います。
4月、アルバイトとはいえ受験勉強と並行して働くのはなかなか難しく、最初のうちは2、3時間ほどしか勉強出来ていませんでしたが、模試が近かったっていう事もあってなんとか喰らい付いてやってましたね。特に目立った事はないかなぁ。
5月、ゴールデンウィークは高校の同期会があり、苦楽を共にした仲間とつかぬまの青春を満喫しました。相変わらず私はいじめの対象で大学生でない事を仕切りにイジってきたので今度の同期会では鼻潰しをしてやろうと思います。
5月末には免許を取得し運転手デビューを果たしました。取得してから1週間後の5月31日、この日は家族で神戸に出かけることになっており、私は地元名古屋から東名阪道と名阪国道を経由して天理まで運転させられました。今思えばまともに路上で運転してないペーペーのやつにあの地獄の名阪国道を運転させる親はなかなかイカれてると思います。カップヌードルミュージアムとカワサキワールドに行き、夜は親と別れ、ほっともっとフィールド神戸でブルーウェーブの復刻試合を観に行きました。田口、藤井、ニール、日高などさまざまな選手の応援歌を熱唱することができたのでとても楽しかったです。ただ試合後半チャンスを作るものの得点出来なかったっていうのと、親を外で待たせていたという事もあって10回裏終了時に球場を出てしまい、野口のサヨナラホームランを見ることができなかったのが非常に悔しいです。
6月、この月は怒涛でした。まず大阪まで全て下道を使って行ったのは京セラドーム大阪、対巨人戦を見に行きました。3連戦全部観戦し全勝、対阪神戦で悔しい思いをしていた事もあって非常に良い思い出です。3戦目では大阪桐蔭の学生さんが来ていたこともあって、Tー岡田、吉田正尚の応援歌を生で歌えたのでメチャクチャ楽しかったです。試合観戦後すぐ高速に乗って帰ったのですが、名古屋の自宅に着く直前まで興奮していたのを覚えています。翌週はナゴヤドームで対中日戦を3連戦全て観戦、そう私は人生で初めて6試合連続試合を観戦に行ったのです。ただここでは試合以外に着目したいと思います。1試合目、私は一緒に観戦しに行く友人の家まで自宅から約15キロ自転車を使って行きました。水分補給することを忘れて無我夢中に漕いでいたので、残り半分くらいのところで私はこんな事を思いました。「このまま着くまで何も飲まずに行ってまえ」、これは結果的に私を苦しめました。残り5キロくらいのところで喉の潤いがなくなり、残り僅かのところで頬がピクピクし始め、友人の家に着く頃には指が痺れてきたのですぐ持っていたお茶のペットボトルを開け、浴びるように飲み干しました。その後友人宅からナゴヤドームまでの約6キロとナゴヤドームから自宅までの約15キロの合計約36キロを走り切りました。これは名古屋駅から三河安城駅を走り切ったのとだいたい同じ距離になります。2戦目は原付を使ってナゴヤドームまで行きました。帰りの渋滞が激しく、非常に後悔したのを覚えています。3戦目も原付で行きましたが特に面白味はないので割愛します。6月の話題はまだあります。
私の父には兄がいるのですが30年ほど前に他界しており、その息子が東京で一人暮らしをしているとの情報が入ったので急遽行くことになりました。せっかく東京に行くならという事で親父の希望で群馬のレトロ自販機を見物しに行きました。私のバイトの都合で夜に名古屋を出発、中央道経由で塩尻まで私が最初に運転して、塩尻からレトロ自販機までは父が、レトロ自販機から一人暮らししている東京の従兄弟宅までは私が運転をしました。話を戻しますが、私は従兄弟の話を聞くだけで実際にはその姿を一度も見たことがなく、今回初めてと言うことで非常にワクワクしていました。従兄弟は身長も体格も日本人のそれとは大きくかけ離れていて非常に巨漢で頼もしい方だなと思いました。2時間ほど叔父(父の兄)の話やその後の従兄弟の人生を話、詳しい話はまた後日とお伝えしてその日は解散。その後まだ午前中だった事もあり、今度は私の希望で靖国神社に参拝しに行きました。この場を借りて改めて国策によって失われた若き臣民に弔いの意を捧げたいと思います。参拝後私は名古屋から寝ずに来ていたこともあり、どっと疲れが体を襲い助手席に乗った瞬間すぐに寝てしまいました。また体調が万全な状態で参拝しに行こうと思っております。
7月、この月はオリックスがリーグ優勝から遠かった月でした。7月4日時点では1位から3位までゲーム差なしの三つ巴状態だったのですが、翌週の8日からの対ソフトバンク3連戦を1勝2敗、7月11日からの対日ハム3連戦も1勝2敗で負け越すなどして失速、特に月末の5連敗が優勝戦戦から離脱した大きな要因となりました。
8月、男7人で知多半島の山海海水浴場へ行きました。私はもう何年振りの海水浴だったので私は大はしゃぎ、午前11時から午後4時くらいまでバーベキューしたり、海に入ったり、様々な遊びをしていたのを覚えています。海水浴を終えたあと、一同は温泉に行き体を休めました。その後花火をして解散、非常にいい思い出ができ親密度もさらに深まりました。改めて恵まれた人々に囲まれているんだなと実感しました。来年は女の子と2人きりで行きたいと思います。
9月、静岡県浜松球場でウエスタンリーグのオリックス対くふうハヤテの試合が行われるということで愛車バモスを走らせ名古屋から浜松へ、最初は名豊道路が全線開通したのでそちらを走行しようと思っていたのですが、余裕を持って試合開始の5時間前に自宅を出たので時間を持て余すと思い、急遽1号線に変更しました。これは愚行でした。知立から浜名バイパスに至るまで全ての区間で渋滞、特に岡崎市中心部付近が酷く抜けるまでに30分近くかかったと思います。ギリギリではあったものの無事試合開始時刻には間に合い、観戦する事ができました。帰りこそ名豊道路で帰ろうと思いましたが、次の日も観戦しに来る予定だったので早く寝たいと思い高速で帰りました。
10月、父がフェリー経由で鹿児島までバイク1人旅をしに行く予定だったのですが、父の誘いで急遽私も同伴することになりました。というのも、父が計画を立てている際、私が「鹿児島に行ったら九州新幹線に乗ってみたい」と言ったところ父が、「じゃあ鹿児島中央で降ろしたるわ〜」とまるでスーパーで何かついでに買っていく感覚で誘ってきたためしょうがなくついていくことに、名古屋を正午に出発し一同は大阪港へ、大阪港は志布志行き「フェリーさんふらわー」で鹿児島へ、道中天候の影響で遠回りをしたそうで深夜帯から早朝にかけてかなりのスピードが出ていました。フェリー内は大きく揺れ、案の定私と父は船酔いし、まともに朝食も食べられないまま志布志港へ到着、到着後何もせずに帰るわけには行かないので、念願だった知覧特攻館へ、資料の一つ一つをじっくり閲覧していたため全てをまわりきることができず、非常に悔しいですが再度来ることを誓い退散しました。そして16時22分鹿児島中央始発の「つばめ328号博多行き」に乗車、博多で「のぞみ号」に乗り換え名古屋までトータルで約5時間、自宅に着いたと父にLINEを送ったら別府温泉の写真とともに「早すぎだろ!」と返信が返ってきました。確かに距離にして約1000キロもある場所からその日中に、しかも夕方になってから帰ってこれたのですから驚くのも無理はありません。ただ日が沈んで景色が見えなかったこと、インバウンドやビジネス客で車内が大混雑していたこととも相まって思っていたほど満足感が得られなかった事が残念です。それでも人生初の九州に上陸した事、九州・山陽新幹線に初乗車&完乗できた事は今年の出来事の中でも印象的な出来事であります。
11月、10月にお金を使いすぎたのも相まってバイト尽くしの日々でした。流行語にもノミネートされた高市早苗氏の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」のようにほぼ毎日単発も含め働いてました。おかげで12月はほぼ何もせずにお金を使う事ができています。
月末には私が免許取得後から乗っていた2003年式のホンダバモスを買い取りたいと、わざわざ高知県からオーストラリア人の青年が名古屋来てくれました。どうやら仕事で来日していたらしく、帰国するまでの短期の間に乗れる車を探していたんだそうです。私の拙い英語でも真摯に対応してくれて無事手続きが完了し引き渡したのですが、私が運転席のポケットに免許証などが入ってるカードケースを置き忘れ、翌日青年に書留で送っていただきました。この場を借りて再度感謝させて頂きます🙇🙇🙇
12月、9月ごろからジムに行ったあと快活クラブや喫茶店などで勉強していたのですが、受験が近づいているということもあり本格的に取り組んでおります。欲は言わないので名城くらいは受かってほしいです。
さて、1月から12月まで長々と今年を振り返ってみましたがいかがでしたでしょうか?改めて振り返ると今年は「旅」の年でしたね。新たにバイトしてお金に余裕ができ、5月には免許を取得した事で行動範囲が大きくなった事で、今まで行くことのなかった場所や若く行動力があることから都道府県問わず様々な場所に行きまくりましたね。しかし、去年(2024年)と比べて明らかに勉強をしなくなりました。本来中心であるはずの受験勉強が疎かになっていたのは悪行であったのは大いに反省するべき点です。ただ去年(2024年)と比べて勉強に対する意欲がなくなったのも事実です。とはいえ2浪して人生の価値観や思想が大きく変わりました。わかりやすく言えば丸くなったと思います。今までは拒絶していたものや考えも認められるようになり新しい世界が広がりました。来年はやりたい事をとことんやりたいと思っております。成功も失敗も経験が伴います。
経験値は若いうちに得るからこそ価値があります。そこで、この若く行動力があるうちにやりたい事をとことんやっている様子をYouTubeに上げることにしました。まだまだ未熟ではありますが、ぜひご視聴をいただきたいと存じております。
今回は大変長いブログ記事でしたがご一読いただきありがとうございました。