アメリカ軍政下、非暴力で闘った、カメさん(瀬長亀次郎)

(今、左翼と中傷するアホがいたらその御尊顔を拝ませてほしい。外間健)

 

軍の圧力で現琉球新報社長を辞任。

琉球政府創立式典で宣誓拒否し、米国、民(軍)政府は公に好ましからざる人物として対応する。

瀬長亀次郎(2列目の左端で本を持つ人物)

米国民政府は瀬長を、沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑(出入国管理令違反)で逮捕、2年の刑の判決により再び投獄された。1人の証言を証拠として裁判は弁護士なし。4月の出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬、当選。瀬長が公然と反米を掲げる人民党の幹部であることを危惧した米国民政府は、管理する銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置を行う。市政運営の危機に見舞われるが、多くの市民が、瀬長の市政を支えるために「自主的な」納税によって財源を確保しようとの瀬長側の呼びかけに応じ、瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し、当選後の納税率は86%、最高で97%になった。これにより当座の市政運営ができるようになり瀬長は市政運営の危機を脱する。これに対し米国民政府は1957年、高等弁務官、陸軍中将が布令を改定し(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)1954年の投獄を理由に、瀬長を追放し被選挙権を剥奪した。

不屈館