自叙伝 プロローグ | 歌舞伎町ホスト協会 会長北条雄一ブログ

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新宿歌舞伎町 元No.1ホスト、夜の街歌舞伎町に関わる全ての業種に元気を出してもらうためにYouTube歌舞伎町しゅわしゅわ倶楽部公開に全力❗️北条雄一のブログ。
日々の出来事から、北条雄一と言う男の信念・生き様まで赤裸々に綴る、熱い男のクールな日常。

まず、自叙伝のネーミングについてアイデアを出してくれた人、有難う!
参考になるものばかりだった

色々な案を集約して、タイトルを決めた


北條雄一伝 <h(エイチ)>
で行こうと思う

ystkさんや、くまさんが案を出してくれた、”北條雄一伝”
それに、きょんきょんさんが提案してくれたサブタイトルを付けるという事、
サブタイトルの”H”は、ライオットさんや村上さんの案にも含まれている、

北條のH
ホストのH
ヒストリーのH
舗装なき道のH

大文字で H(エッチ) だと、余計な印象があるので
小文字で h(エイチ) にした

みんな、ありがとう
すげー参考になった


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さて、自叙伝を書くにあたって、今日はプロローグ的な意味も込めて、
俺がホストになった切っ掛けを話そうと思う。

 

みんなは、ホストと言う職業についてどういう印象を抱いているだろうか。

チャラい?

キザ?

金に汚い?

女を騙す?

媚を売る?


俺も、ホストとは以前はそんな印象だった。



よって、自分がホストになるなんて微塵にも想像していなかったし、
小・中学校とずっと悪ガキで、アウトロー上がりの俺が、
今更なれる職業でもないような気がしていた。


 

けど、小学生の時はジャニーズに憧れ、マッチにのようになりたいと思ったり、
中学の時は水商売クラブのボーイをカッコ良く思えたりした時期もあった。
憧れは心のどこかで会ったんだと思う。

 

 

 

俺は、二十歳の時に一度大きな挫折を経験した
結果、東京や埼玉にいられなくなり、仕方なく仙台に行って働く事になった。
(このあたりのエピソードはいずれ書こうと思う) 

 

 

 
俺は、仙台に行っても相変わらず真面目には生活できなかった。

 

喧嘩、女、酒に明け暮れていた。

 




ただ、仕事だけは真面目に働いた。
ある会長に拾われて就いた職業は、”運転手”

運転が無い時は、輸入品を売るショップの営業や店員をした。 




この時も変わらず思っていた。
商品を売るんじゃなく、自分を売り込もう、俺の男を買ってもらおうと。

 

 

会長の事や、役員の人達の事が好きで、俺は一所懸命働いた。

時には800万円のペルシア絨毯などもキャッシュで買ってもらうことなどもあって、
みんなに誉められたりもした。



居心地は良かった。
俺は、こんな生活も良いかも知れないと思い始める。


 


だが、その生活も長くは続かなかった。

 


会社が倒産したのだ。





倒産した後も会長の運転手をしていたが、
当時俺の家には、地元から俺を頼って1来た後輩が10人ほど住んでいた



そいつらに飯を食わせてやるのも一苦労だった。
 

もちろん会長の世話にもなり、迷惑をかけていた。

 
しかし、会長は嫌な顔1つせず、俺の面倒を見てくれた。

 


俺は、本当に勝手な事だが、
会社が倒産してもまだ少しは会長も余裕があるんだろうな、と思っていた。


しかし実際は、ゴルフ場開発が上手くいっていなかったらしく、
何百億も損をしていたという事を知ってしまう。

 


それを知った俺は常務に相談に行った。

これ以上会長に甘えていられない。

 

常務は、学生時代に俺の生まれた赤羽の学校に寮生として通っていて、
この人もやんちゃな人だったので、
俺としては話しやすくお兄ちゃんのような存在だった。



常務は、うちで働けと言ってくれた。

常務もまた別に土建関係の会社を持っていたのだ。


 

だが俺は、これ以上会長や常務に迷惑かける訳にはいかなかった。



そんな中、転機のように俺に一本の電話がある。

地元の先輩が、歌舞伎町でホストをやっているらしく、
俺にやってみないか?と声がかかったのだ。



上に書いたように、俺はホストに良いイメージを持っていなかった。
正直、抵抗はあった。


しかし、これ以上仙台に居続ける事が難しい俺にとって、
チャンスでもあり、残された数少ない選択肢の一つだった。



それに、その先輩と話して、ホストの実体を少し知った。
 
俺が暴走族の時の知り合いが多くいる事。
喧嘩が盛んな事。
頂上を取るために、皆必死でのし上がろうとしている事。


それを聞いた俺は、少し安心した。


自分を売り込んで、買ってもらう、気に入ってもらう。
それは今まで俺が経験した世界そのままだった。



会長や常務に、歌舞伎町に行こうと思っている事を告げた。


歌舞伎町なら稼げると思い、
俺はみんなを残したまま歌舞伎町へと向かった。

 

 

別れは辛いものだったが、
久しぶりの歌舞伎町にワクワクしていたのも事実だ。 

 





中学の頃、毎日の様に来ていた歌舞伎町。
まさかホストとしてこの地に発つことがあるとは思わなかった。


そして俺は、ここから激動の波に巻き込まれていく事になる。



[YUICHIZM]
職種なんて関係なかった。
暴走族時代も、アウトローの時代も、営業をしていた時代も、
俺がやっていたのは、一貫して”男を売る”という事だったのだ。


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