領土は大事 | 青春再放送?みたいな(#⌒∇⌒#)ゞ・・・・・・

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尖閣諸島を東京が買うことどう思う?

ブログネタ:尖閣諸島を東京が買うことどう思う?

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本文はここから




 




所有者が生存しているうちに正式な段取りをつけて買ってしまったほうが




台湾などの横やりを入れる余地がなくなるから国有化はよい手段と思える。




 




本土では絶滅してしまっているアホウドリ研究は大変有意義だし


未だ開発されていない資源もあるかもしれない、




レアメタルが発掘できようものなら島の経済的政治的価値は計り知れない。




 




私有地より国有地にしてしまったほうが島の保護=領土の保護が




国益のためにとられるので、公が購入するのがbetterだと思われる。







 




以下、wikipediaから一部引用(http://ja.wikipedia.org/wiki/尖閣諸島)




 




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領有権に関する主張



民間機から見た尖閣諸島(左から魚釣島、北小島、南小島)



日本政府の公式見解は「この領域に領有権問題は存在しない」というものであるが、中国政府や台湾政府は「領有権問題が存在する」と主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属するが、台湾は宜蘭県に属すと主張している。2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動や尖閣諸島中国漁船衝突事件のように領有権を主張する台湾・中国側との間で不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題がしばしば発生している。

領有をめぐる経緯



現地調査の結果、いずれの国の支配下にもないと確認した日本政府は、1895年(明治28年)に尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定。同年、尖閣諸島は実業家古賀辰四郎に期限付きで無償貸与される。1880年代後半から1940年(昭和15年)にかけ、尖閣諸島には日本の琉球諸島の住民が建設した船着場や古賀が開設した鰹節工場などがあった。



中国と台湾が領有権を主張し始めたのは、1968年(昭和43年)に尖閣諸島付近海底調査で石油や天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降である。



1978年(昭和53年)に右翼団体日本青年社が魚釣島に私設灯台を建設し、保守管理してきた。日本国政府からの「灯台を正式に海図に記載し、今後は国が灯台の管理をしていきたい」との申し出により、2005年(平成17年)2月に灯台は国に譲渡され、海上保安庁によって魚釣島灯台として管理されている。その他、北小島にも灯台がある。



中曽根内閣(1982年 - 1987年)の際に、海上保安庁は魚釣島に仮設ヘリポートを設置し、これに対して中国政府は抗議していた。現在、このヘリポートは、抗議とは無関係に、必要性や保守整備の観点から日本国政府により撤去されている。



2000年(平成12年)には、魚釣島に尖閣神社が建立された。また、尖閣諸島防衛協会により日本国旗の碑が設置された。






領有をめぐる年表



『毎日新聞』2010年9月19日版を元に概要のみ記す。詳細は尖閣諸島問題を参照。

1885年(明治18年)以降 - 日本が現地調査を何度も行った結果、無人島であり、中国・清朝の支配下にもないと確認。

1895年(明治28年) - 日本の領土に編入することを閣議決定する。

1940年(昭和15年) - 無人島になる。

1951年(昭和26年) - サンフランシスコ講和条約によって、沖縄の一部としてアメリカ合衆国の施政下に入る。

1969年(昭和44年) - 国際連合アジア極東経済委員会による海洋調査で、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告される。

1971年(昭和46年)4月 - 台湾が公式に領有権を主張。

同年6月 - 沖縄返還協定が結ばれ、尖閣諸島も日本に返還。

同年12月 - 中国が外務省声明で初めて領有権の主張をしたとされる。

領海侵犯事件 [編集]

2008年(平成20年)12月8日 - 尖閣諸島魚釣島の領海約3海里(Nautical Mile)に中国の海洋調査船「海監46」「海監51」が、海上保安庁の巡視船よる発見の午前8時より、午後5時の9時間にもおよぶ間、日本の領海を侵し続けた。外務省は「このような事態が二度と起こることのないように申し入れを行なう」などの記者会見を行なった[15]。

2012年(平成24年)3月16日 - 日本の接続水域や領海である本諸島周辺に、中国国土資源部海洋環境監視監測船隊所属の「海監50」「海監66」が現れ、約9時間程度「巡視」と称して領海12海里の周辺などを侵しながら巡航したが、日本の海上保安庁巡視船は、警告のみで中国政府用船の排除は行なわなかった。外務省も抗議だけにとどまった。

日本における所有者



1910年頃の尖閣諸島民とその住居と掲げられる日章旗



大正島が国有地である以外は私有地であり、2002年(平成14年)より日本国が賃借している[16]。総務省は2002年に賃借契約を結び、年間約2,450万円で賃借(魚釣島2,112万円、南小島188万円、北小島150万円)とされる。久場島は在日米軍が使用している。



尖閣諸島を開拓したのは、福岡県八女市出身の実業家古賀辰四郎であった。1870年代後半に八女茶の販路拡大のために沖縄に進出し、高級ボタン用の夜光貝の輸出で富をなした古賀は、東シナ海の島の開拓にも乗り出し、1895年(明治28年)に政府から尖閣諸島を30年間の期限付きで無償貸与され、鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を設けた。この当時の尖閣諸島には、一時は280名あまりの島民が暮していた。1932年(昭和7年)に長男善次に当時の価格で1万5千円で払い下げ(2010年時点の金額換算で約2,500万円、大正島を除く)となり、第二次世界大戦中の1940年代前半に事業中止にともない無人となる。その後、妻が所有し、1970年代に埼玉県内の親交のあった人物に約4,600万円で譲渡した。



各島の所有者と所有地の住所は次のとおり。

尖閣諸島: 沖縄県石垣市登野城2390 - 94番地[17]

南小島: 沖縄県石垣市登野城2390 個人所有(総務省賃借権設定 188万円)32万4628 m2[18]

北小島: 沖縄県石垣市登野城2391 個人所有(総務省賃借権設定 150万円)25万8842 m2[18]

魚釣島: 沖縄県石垣市登野城2392 個人所有(総務省賃借権設定 2112万円)364万1983 m2[18]

久場島: 沖縄県石垣市登野城2393 個人所有(総務省賃借権設定)87万4049 m2[18]

大正島: 沖縄県石垣市登野城2394 財務省 4万1386 m2[18]

東京都による購入 [編集]



石原慎太郎東京都知事は、2010年(平成22年)10月24日放送の『新報道2001』にて、過去に尖閣諸島の一部を購入したいと考え、埼玉県内の所有者に相談をしたが断られたと語った。その所有者は大地主だったため、戦中や戦後に土地を政府に没収されたり、削られたりしたために行政や政治を信用できないとし、島は自分達で守り、絶対に売らないとしている。なお、石原と現在の所有者とは、石原の亡くなった母を通じてのつながりがあったために面談できたが、その事実が所有者に分かる前は「政治家には一切会いたくない」と門前払いされたという。



その後、所有者は、「本来土地というものは、先祖代々受け継がれるもの。私が所有者である限り、あの島は日本の領土です。外国企業からあの島を350億円で売却して欲しいと言われたが、断りました。もし仮に私の子孫が途絶えても、その時島の所有権は日本に移る。あの島は永遠に日本の領土です。」と答えた[19]。



2012年4月16日(日本時間17日未明)、石原知事はワシントンで行った講演で、地権者から買い取る方向で基本合意したことを明らかにした。地権者と30年来の友人である山東昭子参院議員の仲介により半年にわたる三者の極秘交渉の末、「個人で所有するには限界がある」「政府に買い上げてもらいたいが、今の政府は信用できない」などととしていた地権者が売却を決断した