「平均への回帰」という考え方にわたしは救われた。 | 東京ワーママdiary★小6抄録。〜中学受験生といっしょ〜

東京ワーママdiary★小6抄録。〜中学受験生といっしょ〜

東京で働くアラフォーフルタイムワーママの毎日。
小6の男の子、中学受験生の母です。









昔、

ある有名ブロガーさんが

こんなことを書いているのを

読んでしまった。


「ご両親は東大卒なのに、

お子さんは早稲田止まり、

なんていう残念なケース

結構目にしますね🙄」


だって。








わたしは当時

この言葉にいたく傷付いた。


なんて酷いことを言うんだろう。


世間一般の規準で考えれば

早稲田大学はハイレベルな大学なのに。

早稲田大学に入るのだって

十分難しいことなのに。


なんだか

親の育て方が悪かったような

こんな風に言われてしまうなんて……

😨😨😨😨😨😨😨😨😨😨😨😨😨


なんということだろう、と思った。








でも

わたし自身が、

こどもを妊娠したときから

周囲に言われ続けて来た。


「みおちゃんとご主人の子なら

きっと優秀よ〜☺️」


「ヤヤトシくんは

絶対勉強できるでしょ!

だってご両親ができるから!☺️」


「ヤヤトシくんは

遺伝子が違うから!☺️」


みんな悪意はない。


むしろ、よかれと思って

言ってくれていたのかと思う。


でもそういう言葉たちは

わたしにとっては、重かった。


「親が●大卒なら

こどもも同じくらいになるのが

当たり前」


そんな固定観念が、重かった。








ブログに


「こどもが親より

勉強できなかったら

それは嫌ですね〜😳

せめて

親よりは優秀であってほしい

って思っちゃいますよね〜😚」


とコメントをもらって、

閉口したこともある。


「せめて親よりは」が成立するのは

親が勉強苦手だった場合だけ

じゃないですか?


例えば親が東大卒だったら、

こどもに

「少なくともそれ以上」なんて、

求めるのは無茶ってものじゃない?







わたしが

息子の育児(幼児期〜10歳くらい)

したのは

折しも「佐藤ママ教」

全盛の時期だった。


それは

「親の資質は大したことなくても

育て方の工夫と

親の努力次第で

こどもの才能を

如何ようにも開花させることができる」

という宗教だった。


(実際には佐藤ママのご主人は

東大卒であり、お子さんたちは

資質的にも一般平均より

恵まれていたものと推測されるが

そこはほとんど伏せられている)


それは多くの親に

希望を与える教義だった。


多くの親が

その教義に夢を見て

我が子の無限の可能性を信じて

精一杯の努力をする。


そんな時代に

わたしは幼い息子を育てた。


わたしはその時代の空気に

プレッシャーを感じていた。


「親がフツーでも

育て方次第で子が優秀になるのだから、

すべては親の努力次第

なのだから


親の学歴が高いという

アドバンテージを持ちながら

子が勉強そんなでもない

っていうのはそれは

親の育て方が悪い

からじゃない?」


こんな声が、

わたしの耳には聞こえてしまっていた。


実際、そんな風に思っている人も

世間には少なからずいるのだと思う。

冒頭の有名ブロガーさんのように。






わたしは

「息子は自分とは

違う人間だ」

ということを

認めなければ、認めたい、

ということをずっと思ってきた。


「こういう人になってほしい」

という理想を押し付けることは

したくなかった。

(人格とか精神的な面を除けばね)


彼自身が

どういう人間なのかを見極めて

彼が彼らしく育っていくのを

助けたいと思っていた。


でも一方で、

プレッシャーや周囲の声に

揺さぶられてしまう自分もいた。


「息子が幼少期のわたしのように

勉強面で秀でていないのは

わたしの関わりに問題があるから

なのかな?」


「わたしの努力が

足りないのかな?」


「わたしの

怠慢のせいなのかな?」


人から何か言われる度に、

そんな想いが

首をもたげてしまうことも

正直言って何度もあった。









でもさ、

幻想なのよ。


人間には

生まれつきの資質があって

でもそれは「遺伝」ではなくて

あくまで「資質」なのよ。


詳しくは

うーたんパパさんの地頭論を読むのが

一番分かりやすいと思うのだけど

「生まれつきの資質

=親の性質を

そのまま受け継ぐ」

では全然ないわけ。


「遺伝」というと、

人々は「親に似る」をイメージするけど

我々はアメーバじゃなくて

無性生殖はしていないので

生まれるこどもは常に

サイコロが

振られた結果なの。


こどもは

親のクローンじゃないのよ。





 

親が勉強に適性があり、

子も同じ、

そういうケースもある。


でも、それは、たまたま







「親が高学歴であれば

子も同じくらい、

もしくはそれ以上に

高学歴になる可能性もある」


それはそう。

可能性はある。


でも、

可能性はあくまで可能性であって

出る目は誰にもわからない。


そうならない可能性もある。







で、

どっちの可能性が高いか、

という話なんだけど、

わたしがすごく腹落ちしたのが

タイトルの「平均への回帰」。


↑これは一般的な

「平均への回帰」の説明。


子育て界隈で言うところの

「平均への回帰」とは

それとは少し違って、

こんな考え方↓だ。


東大に行ったり

偏差値70オーバーを取るような資質は

基本的には

標準から逸脱した特異なものであり、

その資質を持つ人が

次世代を再生産すると

生まれてくるこどもには

「平均への回帰」の力学が働く。


よって、

親の資質より標準に近い子が

生まれる可能性は

結構高い、というものだ。


もっとも、

すべてはサイコロの目なので

超平凡な親から

ミラクルなこどもが生まれることだって

当然有り得る。


しかし、

そのミラクルなこどもの

次のサイコロを振ったときに

同じ目が出るとは限らない。


少なくとも

「親が標準を逸脱していれば

その子は同じくらい逸脱しているか

もっと大きく逸脱しているはずだ」

というのよりは

この「平均への回帰」論の方が

わたしにとっては納得感があり

身の回りの事例との整合性も

高いように思われる。






「こどもは親の資質を

引き継ぐものなのだから

サイコロの目とは違うだろうプンプン


と思う方も

いらっしゃるだろう。


まぁ、確かに、

親から子に遺伝する要素も

もちろんある。大いにある。


しかしここが

無性生殖と違う

有性生殖の面白いところなのだが

有性生殖の場合、

親が二人いるのだから

両親どちらの資質がどう出るか

わからない、ということに留まらず

両親どちらにも現れていなかった

さらに上の代の資質が

表出することもあり

組み合わせは無限大、

サイコロの目のバリエーションは

無限に近くなる。


無性生殖の場合

基本的に親とイコールのものしか

生まれないのと比べて

本当にエラい違いである。


なればこそ、

我々の子は親とはまるで異なる

こども自身の資質を持ち、

同じ両親から生まれたきょうだいですら

まったく違う姿形や能力を持ち、

すべてのこどもが

世界にたった一人の存在なのだ。


なんて素晴らしい……









話が盛大に逸れた。


とにかく、なにかっていうと

わたしは「平均への回帰」という

考え方を知って


「息子がわたしより

勉強ができないのは

わたしの親としての接し方が

何か悪かったからなんだろうか

😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢」


という不安から

結構解放されたのだ。


彼だけの資質を持つ

世界にたった一人の存在で

あるところの息子。


テストの点が

わたしより低かったから

なんだと言うのか。


外野の声がなんだと言うのか。


彼は彼の良さを伸ばして

素晴らしい人生を送ってほしいと

願って止まない。






※道を歩いていて、たまたますれ違った相手にいきなり言わないようなことは、ここのコメント欄にも書かないでくださいねにっこり


算数の家庭学習は、コレ。

1週間の体験ができる!
クーポンコード:aqv07a
※クーポンコードを入れないとそのまま契約になってしまうので、お気を付けください!
※体験だけで終了するときは、体験料1,980円がかかります。