つくばサイエンス旅2024GW【番外編】つくば万博の想い出。 | 東京ワーママdiary★小6抄録。母は中年の危機。

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アラフォーワーママの毎日。
一人息子は小学6年生になり、いよいよ中学受験生ですが、なんだか全然気持ちが入っておりません……



ご高覧賜り恐悦にっこり

こちら、都内でフルタイムで働きつつ

小学校6年生のラブリーな男子を育てる

アラフォーワーママのブログです。

お仕事人生が停滞してて辛いので、

とりあえず美容頑張ります。







ご存知でしょうか。

つくばエキスポセンターは
つくば科学万博、こと、
国際科学技術博覧会のときに
万博を記念する恒久的施設として
建てられた施設なのです。

※「跡地」ではなく、
つくば万博の時に作られた施設、とご指摘いただき
修正しました。


つくば万博に
行ったことがあるのです。

1985年のことです。
約40年前です。

まだほんの小さな小さな
こどもだった頃です。






なぜなら、
母が強火の教育ママだったから……

では、ありません。

父が、
万博の仕事をしていたからです。





わたしの父は技術者です。
バチクソガリゴリの理系です。

学者先生では全然なく
民間企業に勤める
しがないサラリーマンでしたが
今わたしたちが当たり前に
毎日毎日利用しているある技術を
一番最初に実用化に漕ぎ着けた
たくさんの人たちの一人が、
父です。

すげー父なのです。
マジ尊敬です。

ちなみに、姉も父に似て
バチクソガリゴリの理系に育ちまして
大学で理論物理を専攻し
今は世界的日本企業の技術職として
2人のこどもを育てながら働き
日本の技術力の進歩に貢献しています。

すげー姉なのです。
マジ尊敬です。

(わたしはなんでこうなったんだろーね……?
まぁ、ド文系の母に似たんだろーね……😌)





父は、当時、万博の仕事のために
つくばで単身赴任をしていました。

2年間?
1年間?
だったのかな。

平日はずっとつくばにいて
土日だけ東京の自宅に
帰ってくる生活でした。

そんな時期があったこと、
平日はお父さんがいない頃が
あったことを
うすらぼんやりーーーーーと
覚えています。

まだ、
幼稚園にも入っていないような
歳だったはずですが。





そんなわけで
つくば万博は
単身赴任で頑張ってきた父の
仕事の集大成的なものであり

それゆえに
母は2人の小さな娘を連れて、
えんやら筑波まで観に行ったわけです。

父も一緒にいて
あれこれ案内をしてくれたように
記憶しています。

お父さん
すごいな、カッコイイな、
と幼心に思ったものです。






しかしですね。

それだけだったなら。

わたしは、つくば万博のことを
忘れていたかもしれません。

なにせ、
めちゃくちゃ小さかったので。

しかし、しかしですよ。
つくば万博、は、わたしにとって
忘れられないものとなりました。

わたし、
記憶してるんですよ。
1985年のあの日のことを。
ハッキリと。

なぜかというと……

あの日、
わたしをある悲劇
襲ったからです……
真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔

そのせいで、
心に焼き付いてしまったのです。

つくば万博の光景が。

まぁ、その悲劇は、
わたしにとっては
めちゃくちゃ悲劇なんですが
客観的に見ると大した話ではないので
一旦は置いておきます。
(後で書く、かな)




まぁそんなわけでね。

わたしは小さな自分が行った
あのつくば万博のことを覚えていて。

細かいことは忘れてしまったけど
会場の、朧気な雰囲気などは
覚えていて。

今回実に40年ぶりくらいに、
その場所を訪れることができて
大変感慨深く思いました。

ほんと色々感慨深いですわ。

息子が、
当時のわたしより
ずっと大きくなりました。

単身赴任で頑張って働いていた
当時のお父さんにも
一人で娘二人を見ていた
当時のお母さんにも
感謝の気持ちが湧いてきます。

お陰様で
あなた方の次女は、
特に理系にはならなかったけど
そこそこ元気でやっていますよ♥

ありがとうございます。

またつくば、
両親と一緒に行けたりするも
いいんだけどね。





というわけで
閑話休題。
次から本筋に戻ります。

(つづく)


※道を歩いていて、たまたますれ違った相手にいきなり言わないようなことは、ここのコメント欄にも書かないでくださいねにっこり


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