服装に関してはジェンダーフリーでないわたし。 | 東京ワーママdiary★小6抄録。母は中年の危機。

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アラフォーワーママの毎日。
一人息子は小学6年生になりました。



ご高覧賜り恐悦にっこり

こちら、都内でフルタイムで働きつつ

小学校6年生のラブリーな男子を育てる

アラフォーワーママのブログです。

お仕事人生が停滞してて辛いので、

とりあえず美容頑張ります。








桜、盛りを過ぎましたね。
でも、散る姿もまた、美しい。













↑この記事でわたし、

「『男の子はこういう服装』とか、
『女の子はこういう服装』とか
っていうのは

『お味噌汁は右に配膳するもの』
みたいな文化、
慣習であって

親としてはまず、
何が正しいしきたりかを
伝えるべき」

というようなことを書きました。

わたし、これ、
普段自分が言ってることと
矛盾しているような?
と思うのですよね。







わたし、
育児においては基本的に
「ジェンダーフリー」
意識してやってきました。






特におもちゃに関してかな。

「女の子だからおままごと道具」
「男の子だから車のおもちゃ」

というのに対しては
強くNO!プンプンと思っていました。

もちろん、
こども自身に好みが出てきたら
こどもの好きなおもちゃ
を主に与えればいいと思うんですけど

こどもが
まだ言葉もしゃべれない内から
性別で
与えるおもちゃを
決めるのは避けるべし
と考えています。

なぜなら、それ
(ジェンダー的おもちゃの与え方)

こどもに、
性別による固定的役割分担の
文化を刷り込んでしまうし、

こどもの可能性を狭めてしまう、
と考えるからです。





女の子だって、
工学系に興味を持つ子がいるのに、
そのキッカケを減らしてしまうし、

男の子だって、
将来家事育児を
していかなくてはいけないのに
「それは女の仕事」という性差別の芽を
こどもの心に植え付けてしまう
思うからです。

それは
こどもたちの人生にとって
良くない。





なのでわたしは、
息子が1歳の頃、

与えるおもちゃについてはなるべく
「男女」の垣根を取り払って
満遍なく与えるように
意識してきました。


1歳になって割とすぐ

木製の、果物を包丁で切るおもちゃを

与えました。

息子、毎日毎日

飽きずにトントンしていました。


 

こういう、ぬいぐるみとかを

載せられるおもちゃのバギーは

当時ドイツで

近所に住んでた男の子たちも

遊んでいたし、


(日本では、こういうお世話遊びのおもちゃは「女の子向け!!」ドピンクばかりですが、欧州だと男の子が使ってても自然な、ユニセックスでシンプルなデザインがたくさんあります。これも、子育てに関するパパママの役割分担意識の現れだよな、日本ヤバいな、と思います)


うちも買おうかなと迷ったのですが、

結局は買わず。


当時我が家には、

おもちゃのスーパーのカートがあったので

息子はそれをベビーカーに見立てて

ぬいぐるみを載せてお世話遊び

していました♥


ほんとにわたしの動きを

上手にコピーしてて

(こどもが寝たら毛布を掛けたり)

「よく見てるな〜!」と

驚かされたものです。







そんなわけで、
おもちゃに関してはかなり
ジェンダーフリーを
心掛けていたわたし。

そのわたしが、
服装の話になると途端に

「女の子は女の子の服!
男の子は男の子の服!
男の子なのに親が勝手に
女装させるのはダメ!プンプン
となるの……


なんか……

すごく矛盾してない?

と自分で思ったりもするのです。






もし、
わたしがおもちゃについてやったのと
同じことを服装についてやるのであれば
服についてもこどもが小さい内は
男児用と女児用の両方を
満遍なく着せる
とするべきなんじゃないの???と。

でも、わたしはそうはしなかった。
今も、そんなことしたいとは
全然思わない。






なぜ???






と考えてみると、
結局わたしって
服装のことを割と
「どうでもいいことえー
と考えているみたい、
ということに思い当たりました。

「私、昆虫が好き!」とか
「僕、お裁縫してると楽しい!」とか
こども一人一人が持ってる
「好き!」や「楽しい!」のことは
わたしはとても大事だと思ってて。
尊重したいとすごく思ってるのです。

性別を理由にそれが抑圧されるのは
あってはならないことだと
考えているのです。

性別で
与えるおもちゃを変えるというのは
そこに対して
「『普通』女児は
こういうのが好きなんだよ。
あなたも『普通』になろうね」
というバイアスを刷り込むことだと
思っているので
それはなるだけ避けたいのですが。

でも服装に関しては
わたしたぶん心の奥底では
「ま、
それはなんでも
いんじゃんにっこり
と思ってるのですよ……

暑さ寒さが凌げて
動きを妨げなくて快適……
みたいな、機能面では
どうでも良くはないのですが。

いい感じに見える服を着たいし
着せたいのですが。

でも
服装に関しては別に
女児には女児用しか与えなくていいし
男児には男児用しか与えなくていい
と思ってるのよね、どうも。

男装も女装も、
親がさせる必要ナシ。

こどもが、
好きなこと、
やりたいことやるのは
大事だけど、

服に関しては
こども自身に主張が出てくるまでは
「女は女用」、「男は男用」で
全然よくね?
と思っているのです。

それでこどもが
スカートを履かない男子に育っても
別にそれは
「こどもの可能性を狭めてしまった」
とかは思わないんですよね、
全然……🤔

スカート、
別に履かなくてよくね?
と思っているのです。






やっぱりわたしにとって
服装の性差は
「お味噌汁は
右に置くもの」
同レベルの話で。

こだわりがないのです。

「嫌だ!!
もっと自由であるべきだ!
お味噌汁は左に置きたい!!」

とか、ないのです。

右でも左でも
心底どっちでも
いいのです
にっこりにっこりにっこりにっこりにっこりにっこりにっこりにっこりにっこりにっこり
わたしにとっては、そこ、
違いがない!!!

で、
「どっちでもいいことであれば
素直に社会の規範に従えばいいし、
こどもにも何が
社会の規範なのかは
教えておかなければなにっこり
という感じ。

社会規範を知った上で
それとは違う風にしたいと
こども本人が希望するなら
それはまた別の話であって
本人の希望を尊重してしかるべし、
だとは思いますが。

親が積極的に
規範からの逸脱を促す必要はナシ。






わたしにとって
「女の子にはおままごと道具、
男の子には車のおもちゃ」
というのは、もはやそれ
「社会の規範」では
全然ないのですよね。

昔はそうだったかもしれないけど
今はもうそこ変わったよね、
という話。

なので
「古い時代の
忌まわしき因習の名残が
まだちょっと残ってるだけ」
という認識です。






ただ、
服装の性差に関しては、
まだそうなっている認識がなくて。

依然、
「社会のルール」として
「男はスカートは履かない」は
存続してると思うのですよ。
「お味噌汁は右に置く」と同じように。

たぶんね
「味噌汁、右でも左でも
どっちでも別にいい。困らない」
という人が多いので
(わたしもそうです)
ここに関しては
なかなか変わらないのかな……
と思います。

ただ、
わたしと違って、
服、どうでも良くない人もいるし、
そういう人にとっては今の
社会規範の在り方は
苦しいものですよね……

もう少し時間が経てば
また社会も変わっていくのかな、
と思います。









※道を歩いていて、たまたますれ違った相手にいきなり言わないようなことは、ここのコメント欄にも書かないでくださいねにっこり


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