体験と知識、そして絵本。 | 東京ワーママdiary★小6抄録。〜中学受験生といっしょ〜

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東京で働くアラフォーフルタイムワーママの毎日。
小6の男の子、中学受験生の母です。


昨夜の寝る前の絵本。

「おこめができた!」は、田んぼでおこめができるまでを写真で描いた絵本です。

今回稲刈り体験をする前に、なにか稲刈りとはなんぞやがわかりやすい絵本を、と思って探して、一番平易でわかりやすそうなのが、この絵本でした。

これ以外にも色々あったけど、今のヤヤトシには年齢的にこれくらいがいいかな、と。
三歳児に読む稲作の絵本なら、これがベストじゃないかな?
(他にもわたしが知らない本もあるかもしれないですが)

この他に「田んぼのきもち」という絵本も、これはたまたま(稲刈り体験に行くことが決まる前に)ヤヤトシが図書館の棚から持ってきたので借りたのですが、そちらは田んぼに暮らす虫などについての記述が多くて、それはそれでよかったです。
ヤヤトシがゲンゴロウという虫の存在を知ったのは、この絵本ででした。



確か福音館書店のリーフレットかなにかに、「絵本はこどもになにかを教えるための教育的なツールではない。ただ純粋に親子のふれあいの時間を楽しむもの」というようなことが書いてあって、それは確かに言えてるなぁ、と思います。

といっても、かくいう福音館の絵本にも、様々な教育的意図を感じる絵本は多いです。
というか、福音館こそ、最も優れた教育的絵本を出している出版社のひとつだと思います。

まぁ、あんまりにも教育的意図が前面に出ていて、絵本としての質、美しさに劣るようなのは良くない、とか、あんまり教育的意図ばかりで読み聞かせをするべきではない、という程度の意味かなー、と思っています。

そのへんが、福音館の絵本は非常にバランスが良く、品が良いので好き。
あんまり「こどもにこれを教えよう」とか「こどもをこういう方向に持っていこう」という意図が強いと、美しくないよね。

まず第一には、温かい心のふれあいの手段としての絵本の読み聞かせ、だと思うので。

↑の写真に写っている「ペネロペいまなんじ?」とか、時計の読み方を教えようという意図がビンっビンですけど(笑)
(゜▽゜*)アハハ



わたしも、今回田んぼの絵本を探したように、なにか息子に伝えたいとか、教えたいことがあり、それを効率良く伝える手段として絵本を使うことは、よくあります。

ていうか、この「おこめができた!」なんて、図書館で「えほん」コーナーではなくて、「ちしき」コーナーにあったから、もう、こどもに知識を与えようという意図しかないよね(笑)
でも、そういう本はそういう本で必要だし、いいと思うのよね。

伝えたいことは、わたしが口頭で説明してもいいのでしょうが、やはりプロの絵(ビジュアル)と、よくまとまった文章の力を借りた方が、断然伝わりやすいので。
絵本のこどもに対する伝わり力は本当にすごい。
まだ言語能力が未発達なこどもには、言葉だけで伝えるのは難しいことも多いしね。

親であるわたしの知識、知恵、視点も限定的なものだから、わたしが絵本から初めて知る、気付かされることも多いしね。

本は、本当に素晴らしいツールだと思います。
家にいながらして、生身では会うことすらできないような人たちの言葉、もののみかたに触れられる。
南極から、北極まで。
同時代人から、古代人まで。
場所も、時間も超えて、世界を広げてくれるもの。



今回は、稲刈り体験、という実際の体験を補完するため、絵本を使いました。

こどもには、なによりも実際の体験、実物・現物に触れることが一番、というのは、もちろんです。
先入観なく触れる良さもあるでしょう。

でも、そのものの周辺のこと、そのものに関わることを、知ることによって見えることも非常に多い。
そしてこどもって、知りたがるよね。本能的に。
その欲求には適切に応えてあげたいな、と思います。

同じ稲刈り体験でも、関連情報一切なしで臨むのと、どうやってごはんができるのか、という全体を知って臨むのとでは、やはり違うんじゃないかな。
知識は、別に体験を邪魔するものではなくて、体験を深くしてくれるもの、と思っています。
体験した後で読めば、あれってそうなのか、と思ったり。
それもまた、体験が深まると思います。




わたし自身はこどもの頃、本が好きで好きで好きで。
むしろ、現実世界よりも本が好き、くらいの、ちょっと困ったこどもでした。

息子には、そうなって欲しくないな。

大事なのはあくまで現実で、実物で。
でも、それをより深く広く味わうために、本がある。

これからも、絵本の助けも借りつつ、息子と一緒に世界の色々な素敵なものを見ていきたいものだなぁ、と思います。