■私は日本が憎い…朝鮮人の嫉妬■
 
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No.11378 投稿者: hiki90mm 作成日:2006-03-30 20:16:01

私が住んでいる韓国で周辺を見回せば全部 pakuri にせ物だけだ.

嘘つきと泥棒でいっぱいになった所で住んでいれば窒息するようだ.


ところで日本人はどうなのか?

ただ日本で生まれたという理由で幾多のオリジナル文化の中で美しさを輝かしている.

私は世の中がとても不公平だと思う.

私は日本が憎い. 日本のすべてのものを奪いたい. 日本の伝統芸術, 文化を盗みたい.
特攻隊を盗みたい.

韓国人が 偽りの中で生きて行く うちに日本人は一生を美しく作りながら生きて行く.
私は日本がうらやましい.

日本人の美しさが非常に羨ましくて奪いたいが, それは不可能だ.

だから私は今後ともずっと日本を憎むつもりだ.

日本を憎んでいる間は周辺のすべての現実を忘れることができるからだ.


◎ ドイツの教科書


「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」

◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」

◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」 「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」

◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」

◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」

◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」

◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」

◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」


■ある中国人の思い出…日本が満州を支配していた頃は治安が良かった■



▲小さいころ、年寄りが言っていた。日本が満州を支配していたころ、治安が非常に良く、
家々はカギをかける必要もなかったと。

日本人は調和の取れた社会を望んでおり、善良な市民をいじめるような行為を許さなかった。
この年寄りのいう事がすべてを代表してるとはいわないが、少なくとも若い時に経験した
記憶はそうそう間違えるものではない。

2カ月前、実家の町に地下鉄が開通したと聞いた。でも別に嬉しくなかった。
なぜなら60年も前に完成しているべきものだからだ。確かに1940年代に日本は地下鉄建設計画
を立てていた。


▲1940年代の中国東北部は、アジアでもっとも裕福な地域であり、GDPは日本本土を
超えていた。
1941年には瀋陽に地下鉄建設の計画が上がっており(長春、大連、チチハルにも同様の計画があった)
東北部の都市建設は、同時期の北京上海よりも進んでいた。
30年代、上海ではトイレの水を流すのに自分で水を汲んでいたが、東北部の都市では水道が普及し
始めていた。

■http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1225&f=national_1225_072.shtml■


■朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)■


「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、
心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対
して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」



▲「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたも
のではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本は
アジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むこ
とは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、
開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に
捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜
戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいく
ら強調しても強調しすぎることはない。」



▲「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米
諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、
戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”
であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できた
ではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や
護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」



 文化財庁が火事現場で収去した残骸たちをソウル水色洞の一廃棄物処理場にでたらめに捨てたことで確認された. 崇礼門火事現場に積もっていた残骸たちの文化的価値を精密確認しないまま重装備を利用して一般ごみのようにでたらめに捨てたのだ.

 14日午前記者がこのごみ廃棄場を尋ねた時はフォークレーンなど重装備たちが火事現場で収去した残骸を大部分整理した状態だった. ごみ処理業社である M社の現場職員たちは "13日夕方 2.5トントラック 3台分量の火事残骸が入って来た. 大部分はもう京畿道坡州の 2次廃棄物処理場で移った"と "その所ではすなわちごみ埋め立て地に埋め立てるでしょう"と証言した.


 乗ってしまった残骸一部は木材, セメント, 石ころなど建築ごみとともにまじていた. 長さが 1m 身近になる木材など大きさが比較的大きい不在たちも目立った. 大きい残骸たちは一方に別に積もっていたし, 残り小さな残骸たちはフォークレーンがでたらめに穿って形体を調べにくいこともかなりあった.

[poll] 完璧な崇礼門復元 vs 燃えた崇礼門保存

▲ '柄がこんなに鮮かなのに…' ソウル恩平区水色洞ごみ廃棄場に捨てられた崇礼門の瓦屋根. 瓦の柄が鮮明だ. /捜索=ゾンズンヨブ記者

 600年歴史をおさめた文化財の跡は煙のように消えて, 国宝 1号の一部だったという名残も全然捜してみることができなかった.

 建築中のアパート団地間に位したごみ廃棄場には建築資材たちが山盛りのように積もっていた. 職員たちは処理作業途中ほこりが出ないように水をずっとプリョデッダ. 火事現場でいっぱい水を飲んだ瓦がまた水に濡れた.

 記者がごみ山を穿ると黒く弾瓦屋根がすぐ手につかまった. 残骸を捜そうと深く暴く必要もなかった. 瓦の中で火に燃えない部分は伝統文様がまだ鮮かだった. 煙むたいにおいが鼻を突いた.

 M社関係者は "私たちは中間業社から伝達受けただけだ. 一日に数百代のごみが入って来るのに, 崇礼門火事残骸があるという事実が全然分からなかった"と明らかにした. 職員たちは波紋が拡散するのを憚るのか取材陣の接近を最大限阻もうと労力した.

 文化財庁は崇礼門現場でも専門家たちの現場鑑識手続きをまともに経らないでフォークレーンで残骸を収去したことと知られた.

 これに対して政府は責任を回避するのに汲汲していた. 文化財庁関係者は "崇礼門火事残骸廃棄可否は私たちと全然関係ない. 私たちは技術指導と予算支援ばかりするだけだ. 管轄中区庁で決めた問題だ"と言った. 中区庁公園緑地課関係者は "職員たちがすべて現場に出ていて連絡にならない"と明らかにした.

 崇礼門火事残骸を処理する過程で文化財専門家たちの検証を通したかは確認されなかった. 国宝 1号崇礼門放火と残骸処理過程は政府の文化財保存に関する認識水準をそのまま見せてくれる現場だった.


入力 : 2008.02.14 13:37 / 修正 : 2008.02.14 13:38
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/02/14/2008021401116.html

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どこまで文化財を大事にしない国なんだろう。
そしてまた責任のなすりあい。

数年前からホームレスの根城だった南大門

南大門火災


 放火事件が起きた崇礼門(南大門)では、数年前からホームレスが夜間に楼閣へ上がって寝たり、ラーメンを作って食べたり、酒を飲んだりしていたという。ソウル駅やその周辺に集まるホームレスたちは口々に「崇礼門を根城にしている人は少なくとも5-6人いた」、「寒いときは空き缶をランプ代わりに暖を取って寝る人もいた」、「1週間前に行ったときにも、十数人が集まって焼酎を飲んでいた」、「夏には風通しのよい楼閣に30人程度が集まっていた。排せつ物のにおいが充満し、焼酎やどぶろくの空き瓶、菓子袋などが散乱していた」と証言している。


 こうした内容を聞く限り、崇礼門はすでにずいぶん前から国の保護を受ける国宝としての扱いを受けていなかったようだ。ホームレスたちは工事現場から盗んできたはしご2本を監視カメラに写らない崇礼門の側面に建てかけ、出入りしていたという。


 ホームレスらの証言によると、赤外線感知器の警報を受けた警備会社の職員らに追い出されることもあったが、深夜になると見逃してくれたり、現場に出てこなかったりしたという。


 崇礼門を管理する中区庁は2005年に月12万ウォン(約1万3600円)という契約で崇礼門の警備を業者に依頼した。月12万ウォンとは、一般住宅向けのサービスと同等の額だ。国宝第1号の夜間警備が無人警備システム頼みだったというのも驚きだが、さらに一般家庭の契約料と同じ程度の費用で解決しようとしていたというのだから、呆れてしまう。


 契約から2カ月後には、崇礼門にホームレスをはじめとする侵入者が予想以上に多いことから、警備会社が契約料を月額30万ウォン(約3万4100円)に引き上げてほしいと申し出て、契約内容が変更されている。管轄局はその時点で問題点を認識すべきだったが、昨年2月からは広告効果を狙って無料での警備を申し出た別の企業に、担当を切り替えてしまったという。


 11日に逮捕された放火犯は2年前にも昌慶宮の文政殿に放火し、執行猶予判決を受けたが、その後も火を付ける文化財を物色していたという。放火犯は当初宗廟に目をつけていたが、夜間の出入りが難しいため「最終的に警備が手薄で、入り込みやすい崇礼門を選んだ」と供述している。つまり崇礼門の惨事は、起きるべくして起きたものだった。穴だらけの行政システムが、崇礼門を火だるまにさせてしまったのだ。

http://www.chosunonline.com/article/20080213000055