かつて自分も若かったころに年寄からいわれた。
「若いってうらやましい。」
また早くから結婚した人もいっていた。
「若いってすごいよね、好きだけで結婚できちゃうんだぜ。」
さて、うらやましい今の若人はこの夏休みをどう過ごしているのでしょうか。
”男女の友情は成立するのか?”
自分は若いころから成立すると思っているが、「人の恋路を邪魔するものは馬にけられて死んでしまえ!」という言葉通り、男女の関係は当人だけでなくその周りの人々の興味と干渉をかならず招くものである。
つまり、当人同士・・・・・・・などという現実を確保すること自体がなかなか難しいだろう。
これが実態であろう。
とりあえず昔から男女の友情が成立すると考えている自分の考えを述べるだけにしよう。
まず結論からいうと、これは”人を選ぶ”。
これが大前提の揺るがない根幹としてある。
そのうえで、男女の友情が成立しうる男女同士の友情なら成立する。
そのように考える。
さらに付け加えると、それはかなり低い確率の縁と出会いといえるであろう。
男女で恋愛関係になり、さらに男女間で結婚する・・・・・・よりも低い確率だろうと考える。
個人的には男女の友情は成立しうる。
だが、人を選ぶ。
いくつかのパターンや分析やたとえを挙げるとその意図に同意できる人も増えるだろうが、同意とおなじようにまったく理解できない人々も必ずいるだろう。
そういう人々の特徴の網羅になるので、ここでは結論だけ述べるにとどめる。
表面的な薄い人間の話で例えるなら、片方では友情たりえても、相手の異性は恋愛であったりとか、最初は遊戯のつもりでもかたほうが恋愛になってしまったりであるとか、とにかく相手がある話であるのでその友情の成立も低い確率となるものだ。
永く生き、恋愛だのなんだのにあきたり、別のものに興味を多く持つなどの変化を生じた人になれれば、かつては異性大好きそれだけ人間でも、男女の友情は成立しうるようになるが、本物の異性大好きそれだけ人間は産まれた時から死ぬまでそうであることが多いように思われるのが自分が知る風聞である。
とりあえず友情などと・・・・・・・。
これは完全に人の知の領域のしろものであるので、人間という動物の本性などというもので考えるなら、親であろうと兄妹であろうと既婚者であろうと年寄と子どもであろうと、同性であろうとそこには自分の感情以外の選択肢はない。
また、その分野の話になると、ピーとか、ピーピーとか、記事削除とかアカウント停止などの社会的行為によりネット上から消される可能性もありうるのが人の知の領域社会である。
うーん、またつまらぬものを書いてしまった。