人の遺伝子操作と医療と不死 | よろず話屋

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はたして可能かどうかはわからないが、遺伝子などを改造することで人は不死や不老になるかも?という空想は存在している。

 

それでは仮に、人が不死や不老化できたとしよう。

 

それでも人は事故で怪我などもする。

 

病気などは不死や不老化が可能ならば、付随して何かの対応が可能になるにしても、けがによる体の故障は遺伝子操作では難しい。

 

背中の神経などが破損して下半身不随だの、あるいは意識以外の脳からの情報までも遮断されて、意識なく動くはずの何かまで動かずに死ぬかもしれない。

 

あるいは社会的、経済的に隔離されて飲み食いもできずに餓死なども解決する必要がある。

 

そういうところまで対応できなければ人の不死や不老もただの夢物語だ。

 

本当に人の不老化になると、人が死ぬのは自殺のみになり、そうやって死を望む人が少なからずでてくるだろう。

 

こういう人の生と死ですら、それに対する結論はだれもが同じだと考えるだろうが、意外とこういう根源的なことですら意見が合わないものだ。

 

そもそも遺伝子操作で不老不死が可能なのかどうかも俺にはわからないけれど。

 

不老不死化できるなら、付随して今ある遺伝子系とされる難病も遺伝子操作で治癒が可能になるだろう。

 

そこまでいくと、遺伝子操作で好みの子供をつくる行いも当たり前の社会になっているだろう。

 

とはいえ、完全な解明と完璧な組み換えが可能になることが大前提だ。

 

遠いと思うけどね。

 

あと200年くらいはいるんじゃね?

 

なにやらダークマターだの、あるいはたまに検出できる素粒子みたいな研究をしているが、とりあえずほぼ100%検知できる技術力を人間が保有することが目先の目標だろう。

 

不老不死。

 

とりあえず仏教などの宗教上の真理が覆されるわけだが。

 

想像はつかないが、さらに別次元の人の思考がそれにより登場するんだろうな。